何か上手くいかなかったことを思い出すたび,「もしも〜だったら」ということを反射的に考えてしまう癖が,もう取れないくらい頭に染み付いてしまった。
想像力が豊かなほど,もしもの世界は色鮮やかになる。現実で実際に想像したことが実現されなくても,想像しただけで満足してしまうくらいに。
もしもの世界は自由だから,どんな都合の良いことでも,どんなに道理がねじまがっていても無限大に寛容だ。他人の身体も心も自分の意図通りに動かせるし,どんなに可能性が低いことでも確実に成功させることができる。
そしてその想像から得られる快感は,現実での歩みを鈍くしてしまう。自分の頭の中に引きこもっていれば,傷つかずに済むし,インスタントに仮初の達成感を得ることができるから。
でもそれでは前に進めないから,その「もしも」を整えてどこかに封じ込めて,自分と離れたところに置いておく必要があった。その作業が,自分にとっては写真を撮ったり,小説を書いたりすることだった。自分の心の中にあるものを外に出してしまうことで,自分はその「もしも」が存在しないもので,心の拠り所にしてはいけないもの,ということを理解しようとしていた。奇跡のような妄想を消化して,自分に対して現実に目を向けさせるようにしていたのだ。
最近また小説を書き始めて,写真もまた意識して撮るようになって,自分ってこんなに都合のいいことや,ごちゃごちゃした妄想を頭の中いっぱいに考えていたんだなあ,と改めて思うようになった。
努力をそんなにしなくても成功できると思っていたり,自分の意図を汲み取って周りが動いてくれると思っていたり,自分から何もしなくても何とか事がうまく運ぶと思っていたり。
そんなことは,ないんだよなあ。残念ながら。
「もしも」は適度に頭からお掃除して,自分は現実を生きよう。