いつかヒトになるためのレッスン

人生いったりきたり。

総括(平成):いつだってぼくは何かを克服しようとして生きていた

JGC修行の記事を分断してこういう内容のブログを書くのもアレなのですが、なんか色々自分の中で区切っておいたほうがいいかな、と思って久しぶりに日記を書くことにしました。

ただの日記なので、面白くはないと思います。でも、それを表に出しておくことできっと自分はなにかに区切りをつけていくことができるのだろう、と思って、個人的な日記ではなくブログに書きつけておくことにします。

 

 

今年の10連休は特にどこにも遠出する予定もなかったし、そもそも仕事と私生活でだいぶ消耗していた身体と精神を回復させようと思って、特に何もしないで家で溜まった漫画と本でも読んでようかな、というふうに思っていました。

でもなんだかそれだけだともったいない気がして(持ち前の貧乏性を遺憾なく発揮してしまう)、なんか今までできていなかったことをしてみたいな、と思った末に、GWの間だけ、髪を金色に染めてみることにしました。

 

安っぽくない、どちらかと言うと白っぽいきれいな金色になるまで色を抜くことができて、個人的にはものすごく満足しています。

あと6日くらいで戻してしまうけれど、プリンになっても格好悪いと思うので、まあ期間的にもちょうどいいのかな、と。

 

 

金髪にしたのは、単に自分の髪が金色になっているところを見てみたかった、というのもあるのですが、「できないと今まで思っていたことでも、やってみれば案外出来る、ということを確認しかったから」という理由のほうが大きいかもしれません。

こうすると馬鹿にされたり、けなされたりするのでは、と思っていること。「できるはずがない」と一笑に付されるのでは、と思っていること。

そういったものはそのほとんどが自分の中だけで膨れ上がった妄想で、実際したとしても世間は特に気にしないし、自分の思う通りにしてよい、ということを確認したかったのだと思います。

実際、金髪にしても世界は変わりませんでした。それどころか金髪にしたぶん、自分が少しだけ軽やかになったような気がしました。

 

 

思い返してみれば、平成のはじめに生まれた僕が平成全部をかけてしてきたのは、きっとさまざまな「できない」をただの自分の幻想だと規定して、歯向かって克服していく、ということの繰り返しだったように思うのです。

「自分は一生望むような恋などできないのではないか」という幼い頃の絶望に抵抗して、田舎からインターネットの海を漂流しながらネット小説を読み漁り、書き繋いでいくうちにゲイコミュニティに漂着できたように、

一生田舎に住んで自分が何もできない、何者でもない自分になることに抵抗して、必死に勉強をして家元を離れて進学して、最終的に東京に行き着いて(多少のズレはあれども)希望していた文章を扱う仕事に就くことができたように、

ひ弱で誰にも振り向いてもらえない自分であることをただ嘆くことに抵抗して、頑張って鍛えて35kg体重を増やして昔と全く見た目に変わることができたように、

僕は自分で生み出した「できない」に傷ついて、でも苦しみながら想像した「もしもこうであったら」を追い続けて、なんとかここまで「できない」を克服しながら生きてくることができた、という29年半だったと思うのです。

 

勇気を出してゲイバーに足を踏み入れたのも、コスプレをしてみたのも、Webドラマに出てみたのも、今更ながら同人誌を出してみたのも、イベントに参加したのも、自分から「好き」と言ったのも、親や友人にカミングアウトをしたのも。

大小はあるものの、自分が生み出し、育ててきたさまざまな「できない」という氷を溶かし、砕かせてくれた、大切な経験でした。

 

これらはすべて「自分の中に根付いた自分を否定する幻想」を取り除いてきた、という話で、他人に同じような行動を強いるつもりは全くないです。ただの自己満足なので。

でも、その自己満足をひとつずつ重ねていくことで、自分は自分でいろいろなことを好きなように決めて、好きなように生きていいのだ、ということをやっと学ぶことができたように思います。長かったです。でも、大きな成果でした。

 

 

自分の中に渦巻いていた怨嗟や後悔、絶望は、自分の書いた物語や文章の中に封じて出来る限り平成に置いていけそうです。

令和では、もっともっと自分の追い求めるものに忠実に生きていくようにします。

できないの裏返しで生きるのではなくて、本当に欲しいものを、直接手につかめるように。