いつかヒトになるためのレッスン

人生いったりきたり。

人生の半分をBUMP OF CHICKENと歩いてきた僕が、彼らからもらった「居場所」

BUMP OF CHICKENのいままでのアルバムがApple Musicで聞けるようになった少しあと、新譜が出たことを友人のツイートで知って、ダウンロードして聴いている。

 

aurora arc (初回限定盤A)(CD+DVD)

aurora arc (初回限定盤A)(CD+DVD)

 

 

 

最初に自分がBUMP OF CHICKENの曲と出会ったのは、今から15年前、アルバム「ユグドラシル」が発売された頃だった。

自分がいた北海道の片田舎の中学校では、放送委員が給食の時間に好きに自分たちが選んだ曲を流すことができて、持ち回りで先輩が置いていったCDや、自宅から持ってきたCDをいそいそと入れ替えながら、いろんな曲を学校中に流していた。

もともとCDを買うよりはゲームに自分のお小遣いを使っていた自分だったけれど、なにか親の持っているCD以外にも自分で買ったCDを流したい、という願望が出てきて、近所のCDショップ(たぶんTSUTAYAだったと思う)の棚をぼうっと見つめていた時に出会ったのが、鉛筆で描かれた大きな木が目立つ、「ユグドラシル」のジャケットだった。 

当時ドラムマニアというアーケードゲームにハマっていて、「天体観測」くらいは知っていた自分は、「あれなんかよかったよな」という気分でそのCDを買った。

ユグドラシル

ユグドラシル

 

 

最初のインスト曲から始まり、「オンリー ロンリー グローリー」で完全に心を掴まれた自分は、他にほとんどCDを持っていなかったこともあって、ポータブルCDプレイヤーでひたすらこのアルバムを繰り返し聴き続けていた。

「乗車権」で自分の望みがわからずにさまよう「俺」に自分を重ね、当時家庭内の不和がひどくて、精神的にも疲弊して家に帰るのが嫌だった自分を「ギルド」の歌詞に重ね、親の転勤の都合で引っ越しを繰り返していた自分の状況を「車輪の唄」に重ね(歌詞のような恋愛は一切していなかったけれど)、雪が降るころになれば「スノースマイル」を聴きながら恋をする相手がいないことを嘆いたりした。

当時はBUMP OF CHICKENに対して「中二病っぽい」という印象を持っていて、給食の時間にバンプの曲を流すときには、ワンピースを見たこともないのに「sailing day」をかけたり「車輪の唄」をかけたり、爽やかな曲ばっかりを選んでいた気がする。

 

当時の自分にとって、BUMP OF CHICKENの歌は自分が家庭の不和による絶望や、ゲイというセクシャリティによって他人と同じような恋愛ができないことに対する絶望を一つずつ拾い上げ、叩きつけるように歌に乗せることによってなんとか消化していくために必要なものだった。

 

バンプの曲の歌詞には、それがラブソングと分類されるものであっても基本的に「君」と「僕」しか登場することはなく、かつあまり男性性や女性性が如実に出たような内容の歌詞にはなっていない。それは、誰にとっても「自分のための歌」と感情移入ができるように設計された歌である、ということを意味している、と当時の自分は考えていた。

自分であっても「車輪の唄」のような、「スノースマイル」のような恋があり得るかもしれない。自分でも希望を持っていいし、絶望の縁に立つことになっても、この歌がある限りは僕はきっと未来を夢見ながら生きていける、という気持ちで、バンプの曲にすがるように生きていたのだと思う。割と冗談ではなく。

 

その後はわりと当時の同世代の中学生から一足遅れて「jupiter」にさかのぼり、「ハルジオン」「ダイヤモンド」「ダンデライオン」などを聴きはじめ、「LIVING DEAD」の「グングニル」のように突き放すように歌われた初期の曲を聴き、「K」のFlashを狂ったように見まくり、完全に中二病に突入したまま高校生になっていった記憶がある。

 

orbital period」が発売される頃には多少は精神も落ち着いてきたものの、大学受験のために必死に勉強をしていた自分は「才悩人応援歌」や「ハンマーソングと痛みの塔」を聴いて奥歯を食いしばりながら、「時空かくれんぼ」を聴きながら当時片思いをしていた相手のことを思い、「ひとりごと」を聴きながら自分の望みが叶わないであろうことを悟り、「涙のふるさと」を聴いてただひたすら泣いていた。

このころになると曲調として叩きつけるように荒々しく叫ぶような歌い方をする曲は大分少なくなり、「どんなに悩むことがあっても、苦しいことがあっても、君は君だし、ここにいていいんだよ」と、自分の居場所を与えてくれるような歌詞や歌い方に変化してきたように思う。

自分の成長とともに進化していくように、彼らの歌も少しずつ大人になり、より丁寧に微細な寂しさや感情の揺れを拾い上げて、抱きしめてくれるような曲に変化していったように思えた。

 

 

完全にバンプが大人になった、と感じたのは、2010年に「COSMONAUT」が発売されたときだった。

このアルバムに収録されている「66号線」を聴きながら、しばらくぼろぼろと泣いていたことを覚えている。

自分のセクシュアリティについて悩み続けて、女性と付き合ったりしてみて、でもそれは自分が望んでいた恋愛ではなくて、自分が何を標に生きていけばいいのかわからなくなっていたところに、まだ見ぬ「君」との理想の姿を歌ったこの歌は、すっと染み込んで自分の心の氷を溶かしていったのだ。

 

 ワクワクだとかドキドキだとか

 あなたとしか分けられない様に

 出会う前から育った 会いたかった

 

思えば、これ以降バンプの曲はこの曲だけをことあるごとに、執拗に聴きつづけていたように思う(このあとには「RAY」「Butterflies」と二枚のアルバムがあって、それらは買ったけれどほぼ聴いていなかった)。それ以降の曲は、バンプが自分を追い越して大人になりすぎていっているような気がしていて、自分から離れていくような感覚を覚えたのかもしれない。

 

 


BUMP OF CHICKEN「記念撮影」リリックビデオ

 

でも、今回のアルバムを聴いて、ふたたびバンプと自分の「大人さ」が噛み合ってきたように思ったのだ。

過去から歩いてきた結果今があるし、それは未来にも続いているのだから、君はここにいて大丈夫。きっと歩いていけるーーということを、このアルバムでは繰り返し歌っているように思える。

繰り返し歌ってきた宇宙や星のモチーフを使いながら、初期の曲たちを思い起こすような転調を織り込んだ上で、「Aurora」には「涙」「魔法」「炎」、「リボン」では「ガラス玉」、「シリウス」では「灯火」「盾と剣(きっと「66号線の歌詞!」)」など、過去の曲を思い起こさせる歌詞(普遍的な言葉かもしれないけれど)が散りばめられていて、食い入るようにバンプの曲を聴いていた中学〜大学時代を思い起こしてしまう。

 

途中に抜けはあるものの、およそ15年前、今まで生きてきた人生の半分の地点から今まで、バンプの曲によって自分は「ここにいてもいい」という居場所を与えてくれた。

それを再確認できて、そしてこれからもバンプは変わらず自分の人生に「居場所」を与えてくれるのだろう、という実感を与えてくれたのが、今回の新アルバムなのだと思う。

 

あんまり長く付き合いつづけてきたものがないんじゃないか、と漠然と思うことのある自分の人生だけれど、そんなことはなかったな。自分が成長するのとともに進化してきたアーティストがいる、という事実だけでも、自分はいくらか救われる部分があるのかもしれない。