いつかヒトになるためのレッスン

人生いったりきたり。

夜の散歩

散歩が好きだ。

正確に言うと「自分は散歩が好きなんだ」ということを最近自覚し始めた、と表現するほうが近い。

特に夜に散歩するのが好きだ。もともと人混みが嫌いだから、ほとんど誰も人通りのない夜の路地はとても歩きやすい。人を避けることや追い抜くことに脳をほとんど使わず、歩くことと、周囲の建物を見ることに集中することができる。

 

コロナ禍の最中に中央線沿いに越してから、遠出をする代わりに近所をうろうろと歩き回るようになった。昼間は人出があるからマスクをして息苦しく歩かなければ行けないけれど、夜中に歩くのであれば周りを気にする必要もない。変な形の出窓がある家、どこかから漂ってくる食事の匂い、暖かな明かりに照らされて動く人の影。自分の周りにはこんなにたくさんの人が住んでいて、それぞれ生活があるんだ、と思うとなぜか気持ちが落ち着いた。

 

最近は昼でもマスクをしなくて良くなったけれど、夜道を歩く頻度は増えた。最近仕事で変化が激しすぎて精神的に参っており、他人との予定も入れられないほど消耗して昼間は家で泥のように眠ったり死んだ目でYouTubeを見たりしているうちに夜になって一日を無為に過ごした自分に絶望してしまったときなんかに散歩をしたりする。

AirPodsポッドキャストやラジオを聞きながら(今日聴いていたのは星野源オールナイトニッポンだった)、線路沿いをひと駅かふた駅分歩く。だいたい東中野駅から高円寺駅まで歩いたり、逆に高円寺駅から帰るときに中野駅まで歩いて電車でひと駅分乗って帰ることもある。普段自分が遊びに行ったときに歩き回る繁華街の外にも当然街は広がっていて、その境目を通り抜けるのが好きだった。高円寺側からセントラルパークを抜けて中野駅の北側を通過して、中野サンロードを抜けた先にあるライフを越えた先に急に一軒家と2階建てのアパートばかりが立ち並ぶ住宅街が広がるところとか、特に。

 

思い返してみると、コロナ以前も自分は夜にひたすら歩き回ることが多かった気がする。ひとりで旅行した時は一人で入れそうな居酒屋を探してひたすら繁華街を歩き回ることが多いし、自然の中にある宿に泊まったときもほとんど電灯のないような真っ暗な道をひたすらうろうろしたりする。海沿いに泊まったときはひたすら海岸沿いを歩いたりする。沖縄に旅行に行ったときも夜中にドライブに連れて行ってもらって海岸沿いの公園に行き、砂浜を歩いたりベンチに座ったりしてひたすら波音を聴いていたりした。

東京に来たばっかりのころは二丁目に来てもどこに入ればいいかなんてわからなくて、終電近くになるまで2~3時間くらい周辺の道をうろうろしていたこともあった。札幌に住んでいた頃は飲み明けにすすきのから札幌駅を越えた先にある自宅まで歩いて帰るのはザラだったし、もっと遠いところにあるスーパー銭湯から3~4kmの道のりを自宅まで歩いて帰ることもあった。

夜の道を歩いていると、周りの景色が歩くスピードでゆったりと変わっていく。ちょっと気になるものがあれば、立ち止まったり速度を落としてゆっくりと観察することもできる。気になった方に曲がってみて、寄り道することもできる。

他人や状況に左右されずに、自分で進むスピードをコントロールできているのが自分にとって安心する要因なのだろうな、と思う。自分ひとりではどうにもならないようなことに振り回されて現在位置がわからなくなるような状況だとなおさら、自分は自分のものであるということを確認したくなって自分は散歩に出るのかもしれないな、と思う。

 

早くもうちょっと仕事、余裕が出るようにしたいな。

一時期本当に朝から晩まで会議と判断ばっかりで息継ぎするスキマもなかった頃から比べると多少マシだけど、ちょっと今の状態が続くと心がぐえってなっちゃうかも、って書いてて思った。

せっかくコロナも落ち着いてきたんだから、気軽に休日前後に一日休んで海外旅行とか行けるくらいマシになるようにしたいな~……。