いつかヒトになるためのレッスン

人生いったりきたり。

物語をつむぐ理由

きょうはけもケットに行ってきました。簡単に言うとケモナー向けの同人誌即売会です。中学高校大学と個人サイトが全盛期だった時,HTMLコードをかじりながら奮闘してケモホモ小説サイトを作っていた自分としては(この歴史自体は黒歴史ですが),一度は行ってみたいと思っていたイベントでした。

現地に行ってみてびっくりしたのが,買いに来る人たちの人数。整理券を配って人数整理をしなければいけないほどで,400人ずつ入場するタームが3回あったところをみると述べ1500人程度はいたように見えました。川口に見るからにオタクっぽい人がたくさんいて,何かとても異様な光景でした。おばちゃんとかになんかすごい目で見られた。

サークル数も100を超えていて,結構沢山の人が作品を出してるんだなーと感心してしまいました。そしてダッシュで同人誌を買い漁るわたし。案外買ってしまった私。こうしてまたクローゼットが狭くなる…

しかし,かなりマイナーだと思っていたケモノものにこんなにも人が集まっていて,時代は変わったんだなあ,としみじみ思いました。自分がサイト運営してた頃は,そんなにお仲間がいない気がしていたのに。

そんなこんなでエロ本をそれなりにたくさん買ってほくほくしていたのですが,サークルの中で小説を書いていたり,非エロの漫画を書いている人は殆どいないんだなー,と参加後に友人とお話をしていたのでした。

 

基本的に,人生に何の疑問もなく満足している人は,創作をしません。

なにか作品をつくりたいと願うのは,そこに処理しきれない何らかの不満や不安,怒りといったものがあり,それを吐き出したい,あわよくば理解して欲しい,という思いがあるからです。その名前もつけられない感情をどうにか表現したくて,自分は小説というものすごく迂遠な表現方法を使ってその気持ちを頭の中から追い出していました。同じようにサイトを運営している何人かの人と志を共にし,励まし合ったりたたえ合ったりもしていました。そうすることで,結構深いところで理解し合い,寂しさを紛らわせ,欲求を満たしていました。

ただ,SNSがすっかり生活の中に溶けこむようになってしまってからは,欲求を満たす部分が全体的にどんどんと肥大してしまっているのではないかなあ,と思ったりもします。

さみしければ「さみしい><」とでもTwitterでつぶやけばリプライが飛んで来るようにはなったでしょう。本人の顔写真?必要ありません。身分はいくらでも隠せますし,偽れます。都合のいいように改変できるんですから,返事がたくさんくるようにプロフィールをごまかすくらいは楽勝でしょう。

エロ画像にもエロ動画にもすぐアクセスでき,あっちの欲もすぐに満たせます。

少なくとも表面的には満足することが増えてしまったがために,わざわざ他の手段を使って自分のことをわかってもらう必要はなくなってしまったのかもしれません。

ただ,本質的には人の内面は変わらないので,表面的な交流で精神を落ち着かせられなくなる時はいつかくるんだろうな,とは思います。SNSは即物的な交流はできるけれど,深くまでは踏み込めない。

だから,あんなにも沢山の作品が未だに生まれるのだと思います。

 

今回同人誌を買い漁って読んで,ひさびさに自分で作品作るのもいいな,と創作欲が呼び起こされてきました。

鉄は熱いうちに打て,ということで,気持ちが落ち着く前にぼちぼち小説書きを再開しようかな,と思います。