いつかヒトになるためのレッスン

人生いったりきたり。

過去を見つめなおすこと

今月は有給休暇消化のためにだいたい週休4日マンと化しているので,いろいろ溜まっていた本と雑誌を読み進めたりとか,いろいろなものを整理していたりしています。

ここ数日は何か仕事上に役立つことがあるんじゃないかと思って就活のときにせっせと書いていたノートを見返しているんですが,まあ書かれている内容の薄いこと…。社会に出てないから当然といえば当然かもしれないけれど,あまりにも薄い。しかも結構虚飾が入ってる。

就活で出すESなんて何割かは盛った内容であるとは思うのだけれど,せめて「自分はこんな人です」ということが文から読み取れる感じである必要があったとは思うのです。でも,なんか今見返してみると「さすがにこれ盛り過ぎじゃないか」とか,「ちょっとそこからその結論引っぱり出すのは無理があるんじゃないですかね」とかツッコミ入れたくなる箇所が沢山出てきて,全然自分じゃない気がするのです。

一般論しか書いてない,冗長で,結論がわからない文章。でも,この文章が当時の自分を的確に表していたのかもしれません。そんなにまじめに将来のことは考えず,かといって当時打ち込んでいたこともそこまでなく(唯一やっていたものといえば写真と読書くらいだったけれど,めっちゃハマってるという程でもなかった),大学の授業もまともに受けていない。

何をするにもあまり興味がない,適当な人間であるという印をつきつけられたような気分になってちょっと自分に引いてます。

ただ,まだこのことを笑い話にできるぶん,今はマシだと思えているのだと思います。いつか,このブログの文章もあとから見直して「こんなことwwww言ってるwwwwプゲラwwwww」とか思う時が来るのかもしれません。ちょこちょこ何かしら記録を残しておくと,こんな風にたまに自分を思い返して楽しむことができていい暇つぶしになります。

 

過去を振り返るとき,自分はあまり「思い出」を当てにしません。

思い出はいつも主観的なものだからです。

だいたい自分のいいように結論を捻じ曲げるし,美化します。

そうして,都合の悪い部分をすべて振り落とした妄想を「思い出」に据える,ということが間々起こり得ます。

だから,その時思ったことは新鮮なうちに文章に落として保存して,いつか見返す時のためにとっておくようにしています。

文章にも主観は入りますが,文章というものは固定化されたメディアです。最初から認識が歪んでいる場合は別ですが,基本的に書いた当時の気持ちが時間とともに揺らぐことはなくなります。

そうやって,自分は過去の自分と冷静に向き合うことにしているのです。

 

いつも読んでいる雑誌「ダ・ヴィンチ」で羽海野チカ特集が組まれていて,『3月のライオン』の中でヒロインの女の子がこんな台詞を言ったようです。

「ひな 世の中にはね その場しのぎで自分で勝手に話を盛って 話してるうちに 『ホントにそうだった』って思い込んじゃう人がいるらしいの」

 お仲間界隈では身につまされる事が多そうですね。

気をつけよう。 

 

3月のライオン 11 (ジェッツコミックス)

3月のライオン 11 (ジェッツコミックス)