- アーティスト: BUMP OF CHICKEN,藤原基央
- 出版社/メーカー: トイズファクトリー
- 発売日: 2004/08/25
- メディア: CD
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いろいろ思うところがあって,今の仕事へのスタンスに疑問を持つことが多くなりました。
だからといって即転職だ!と踏み出す勇気もなく,まだ頑張れる気はするぞ,でもこのままだとやばいぞ,と思ってきてもいます。
今までそこまで大それた人生の転機を迎えたことはなく,むしろ「絶対に,明らかな失敗をしないように」生きていくことを第一にしていたタイプなので,そういう「人生の決断が早急に必要だ!」という感じのことになると腰が引けるのですが,もうそうも言っていられない状況になってきたなあ,と感じています。
ただ,何の判断軸もなく,また身の回りで集められるような情報だけで今後の人生を決めるのもアレですし,せっかくならいろんな人の意見を聞いてみたい。
なので,ちょっとした試みをしてみようかと思います。
お仲間のゲイに「なんであなたはその仕事に就いてるの?ねえねえなんで?」と問うてみようかと。とりあえずいろんな人に。
お仲間さんが就いている職は様々ですが,ゲイが生きていく上で,みんなどんなことを重視して生きているのか(仕事自体のやりがいなのか,それともプライベートなのか,はたまた二丁目で生きていくことを生業としているのか),いろんな意見を聞いてみながら,「じゃあ自分はこうしてみるのがいいんじゃないかなあ」と決めたいという,とても個人的な目的を持っています。あと単純にみんな何を思って仕事をしているのか,気になる。
具体的には以下のようなことを質問したいと思ってます。
というわけで,こんな感じの質問に答えてくださる物好きな方がいらしたら,twitterのDMなりLINEなりでこっそりお教え下さい。うまくいけば全く知らない方にも話を聞いてみたいのですが,最初は怖いので見知った方からでお願いさせていただきたいです。
もし話の内容をまとめてブログに掲載してもよい,という方がいれば,編集して(個人が特定されたりその他明かしちゃいけない情報は除いた上で)ブログに載せられたらいいな,と思っています。どこまでの人が見てくれるかはわからないけれど,結構興味ある人はいるんじゃないかなと思っています。
ブログはいやよ,という方もお話きかせてください。あくまで目的は僕自身が今後の人生どうしたいか悩んでるのを解決したいことなので(笑)。お悩み相談に乗ってくださる人生の先輩がいらっしゃれば,もしくは愚痴を聞いてくれるだけでも嬉しいです。
とりあえず言い出しっぺから,ということで,最初は自分をネタに色々見本記事を書いてみようかと思います。もし興味を持ってくださった方がいらしたら,お知らせくださいませ。
自分が何したいのかわからなくなってきた,と今まで割と深刻に思ってきて,そろそろ気づいているのに自分の中で認めるのを避けようとしていることがある。
つまり純粋に「自分が何したいのかわからない」というわけではなくて,「なんかやってみたいことはぼんやりあるけどどうしたらそこに行きつけるのかわからないしそのために努力するのがめんどくさいからとりあえず逃げたい」という気持ちなんだなあと。
そもそもそんなにまじめに10年後の将来とか考えてこなかったもの。考えてきてたらこんなに自分で自分のことを中途半端な人間って思わないと思うし。せめて考えられて1年後か,もしくは半年後くらい。
でも,そろそろ社会人4年目になって,ちょっとずつ周りが見えるようになってきた。「このままのうのうとし続けていると,まずいな」と思えるようになってきた。努力はやっぱり必要なんだなってわかってきた。しかもその努力がある程度自分が意識できる形で積み上がっていないと,それは自分にとって意味を成さないんだなと思えるようになってきた。
今までまとまった量の努力を(いやいやではなく,業務上の強制に迫られてでもなく)してこなかった自分が,自分の思い描く人間になるために,努力する時が来た。
一つ一つ,やっていくしかないんだ。自分が足りないと思ったこと,やりたいと思ったことを,やってみないと何もわからないんだ。
だから,自分がまず実践するしかないんだ。吐き出すしかない。
やってみよう。
最近,仕事が正直うまくいかないことを理由に何かと文句をつけて「自分のせいではない」と釈明することが多くなってきた気がする。
仕事をやってりゃ納得出来ないことは多かれ少なかれあるだろうし,それにいちいち文句をつけるのは簡単だけれど,だからといって仕事を投げ出すのはかっこ悪いのであって。その仕事をしている最中は,その仕事に全力を尽くしたほうが,得るものが多いはず。
と思ってやったほうが気が楽だ。ほんとに何やってるかわけわからん仕事もあるから,そういう時はどうしようもないかもしれないけれど。
「自分がもう嫌だからやりたくない」と言い続けると,その言葉が自分を汚染していって,自分がやりたくないことは主観でシャットアウトしてしまうような人間になってしまう。そういうことになると自分のためにならないし,結果も出ないし,なによりつまらない。
本当に自分のやりたいことしかしないのは,たとえ自分で起業しても好きなことを仕事にしても,絶対に実現不可能だ。嫌なことをやり過ごせるように自分を変えるか,(自分が)嫌なことでも目的につながっていることだけに絞って何とかやるか。
何かしら嫌なことをやるにしても,それが何か意味のあることと理解してやれるように,自分で考えてやっていくようにしたい。
昨日会社の同期と後輩に誘われて,ちょっと仕事帰りに飲みに行った。そこで話されたのはサラリーマンによくある話題で,つまり上司と会社への愚痴だった。あの先輩はここがダメだ,あそこがしっかりしてない,上司である資格がない,もう限界だ,などなどなどなど。
その時は「はあ,大変だねえ」とひとまず話を聞いてそれなりに盛り上がり,帰って普通に寝て今日も仕事に行ったのだけれど,なんだか今日仕事しててものすごくだるかった。
まあ普通に仕事したくない気持ちも元からあったのだけれど,それにしてもつらい。つらすぎてクエン酸がたっぷり入っているグレープフルーツジュースがうまいうまい。
そういうわけでなんで自分がこんなに疲れているのかと過去の行動をたどっていったところに,「同期と後輩から聞かされた仕事の愚痴」が挙がってきたのである。
ただの愚痴だけなら別にそんなにダメージが無かったのかもしれないが,今回は何か違うと思った。要因を整理して,自分もスッキリしておこうと思う。
「先輩って後輩の仕事のクオリティがちゃんとしてるか確認する役じゃん?確かにおれの実力不足は否めないけどさあ,ちゃんと見てほしいんだよねえ」
って喋られた時点でお前しっかりしろよ新人じゃねえんだぞもう,って思ってしまった。
大抵の仕事は(特にある程度の大きさのある企業だと)その質を担保するために,成果物に対して複数の目を通す。その過程で上長のチェックが入るわけだが,「適切なタイミングで適切なフィードバックが来ない,上長として信用出来ない」という文句を言っているわけである。
もちろん上長は部下がトンチンカンなものをうっかり出さないようにチェックするのが役目なわけだが,すべての上長がそんな出来た人であるわけではない。チェックがザルな人もいるし,細かくネチネチした人もいる。でも,そもそも自分で成果物を作って出す段階で,自分がある程度納得したものを出さないとチェックしても直しようもないものだったりする。それを全部直して指導する責任が全部上司にあるのだとしたら,それはちょっと気を抜き過ぎなんじゃないか,と正直思ってしまった。
そんなに文句言うなら一回ブチ切れればいいんじゃない,直接言えばいいんじゃない,そんなに年の離れた上長でもないしまだ言えるでしょ,って相手に言うと,「いや,そろそろ限界だから言おうと思ってる」と返ってくる。
それだけ鬱憤を抱えているのだから,それはそれは恨みがこもった文句を聞かされているのだが,傍目から見ていると割と一回話しあえば何とかお互い気をつけられるようになるのではないか,と言う程度の問題に見えるのだ。それでも相手が直接話し合いで解決しようとした気配はない。かといって距離をとることもない。
そりゃ鬱憤がたまるのは当たり前だろうなあ,と思った。それが結構年上の上長でおいそれと文句を言ったもんなら課からハブられてしまう,といった感じの人が相手であれば愚痴で片付ける気持ちもわかるが,相手はまだ年の近い先輩である。さっさと言って解決したらいいのに,とずっと思ってずっと言ったが,結局直接話し合って解決するかどうかの意志は聞かずに飲み会は終わってしまった。
結局昨日同期の何にダメージを受けていたかというと,「まだはっきり言うかはっきり逃げるかすれば何とか切り抜けられそうなのに,あえて正面から突っ込んでマトモにダメージを受けて腐って,周りに恨み節をまき散らしている」という同期から降りかかってきた「瘴気のような悪口」の余韻がまだ頭に残っていたからなのでは,と思う。愚痴を聞かされて嬉しい人はいない。むしろダメージとその相手に対する偏見しか産まない。
せめて愚痴を言うとすれば「こういう仕打ちを受けてるんだけど,自分は悪くないよね?相手にもうアクションを起こすか逃げようかしようと思ってるんだけど,その選択は間違ってないよね?」と,その人の行動に繋がる形で「現状がどれだけおかしいかを客観的に判断するための確認」として言うのであればまだわかる。でも「ただ気に入らないから文句を言う」とか「不満だけど本人に言う勇気がないから言いやすい人に管を巻く」とかいう方法で愚痴を言ってくる人ってほんと何も生み出さないなと思った。
嫌なら行動を起こすしかない。無理矢理にでも。
それができずにくすぶっている人は,それなりの生活しかできないんだろうな,と思った昨日と今日であった。
最近仕事を言い訳にして本も雑誌も読まない日々が続いていた。大学時代は年100冊位読んでいたこともあったのになあ。
これはイカンと一発奮起して,最近は気になった雑誌や本はとりあえず買って持ち歩くようにしている。雑誌は全部読もうと頑張ることをやめた。一度ざっと見通して気になったところは振り返って読むようにすると,割と自分の気になるところだけを読める。
そんな感じで昔よく読んでいたダ・ヴィンチをパラパラめくっていて,ふと振り返ってしまったのは,浅井リョウと高橋みなみの対談記事だった。
一番最初のエントリで,ぼくはホモだと言った。
ホモって,わりと高い確率でアイドルが好きなのだ。自分も例に漏れずPerfumeは好きなのだが,「熱烈なファン」というほど必死に好きなわけではない。しかし,ホモにはその「熱烈なファン」相当の人間が多く存在する。
ぼくらの仲間は女子に性的興味はわかないはずなので,ぼくらがアイドルを好きなのは,彼女たちとヤりたいから,という理由からではない。では,なんでぼくらはそんなにアイドルに興味を持ってしまうのか。
それはアイドルが山ほど積み上げている「努力」と「修練」に惹かれているからなのだ,という結論に至った。
対談記事の中で,浅井リョウは「物語を動かすのって,メッセージを口に出す人なんです」と述べている。
思っているだけでは,事態は変わらない。そのメッセージが正解かどうかも,全くわからない。でも,実際に口にしないと物事は進められない。
だから,彼女たちはそれを口に出す。その選択が合っているかなんて誰もわからないけれど,だからこそそのメッセージを自分たちの手で正解にしていくために,今度は現実を変えていけるように行動を続ける。だから彼女たちは輝いているし,元気に満ち満ちているように見える。
きっとぼくらは,その行動力に少なからず憧れを抱いているのかもしれない。自分の手で自分たちの物語を動かし,沢山の選択をして,沢山の失敗をして。でも負けずに立ち上がり,さらなる努力をもって現実を変えていく。その姿に,自分のありたい姿を重ねているのではないか。
自分が選んだ道を,正解にしていくしかない。そのためには,メッセージを口に出していくしかない。自分から世界を動かしていくしかない。
自分の言葉で自分を縛りながら,それでも自分が少しでも満足できる人生を歩むために言葉を声に出し続ける。
きっとそれができさえすれば,自分は自分の望むような姿に近づける気がする。
こんばんは。はじめまして。
一発目のエントリからこんなことを書くのもなんですが,わたし,ゲイです。
そしてあるめぐり合わせがありまして,このGWに初めて自分からゲイでない人に自ら自分がゲイだとカミングアウトをしました。
このブログを始めるにあたって,少し経緯を記しておきたいと思います。
ゲイといっても,一応見た目上は一般社会に紛れ込んでそれと気づかないような格好をしています。女装して街を歩いたりとか,オネエ言葉で常に喋ったりとかもしてません。(実際,ゲイとオネエは一応定義が異なる存在なのですが,そこら辺区別がつかない人がいる気もするので一旦一緒くたに「ゲイ」としておきます)
自分がゲイであるという自覚をもったのはもうずっとずっと前の子供の頃でした。ので,自分はずっと自分の恋愛指向を他人に偽りながら生活してきました。
AV女優の話が話題にのぼっても話に入れない,キャバクラや風俗には全く興味がない,挙句に男女カップルの話を聞いていて切なくなる始末,とくれば,もはや自分に一般と同じ恋愛を通過する,などという選択肢はありませんでした。一応女子と付き合ったこともありはしましたが,どれもこれも不完全燃焼に終わりました。
どうしても自分がゲイだとバレたくなかったので(どうせ誰も理解してくれないと思っていたから),息をするように嘘をつきました。関わりたくない話題については全力でスルーしました。高校時代はスクールカースト上位の人達が毎日話題にしている恋愛の話とか,イケメンと美女の甘酸っぱい会話とか全力スルーである文化部の部室に引きこもってました。まあ,そこで結構楽しいオタクライフが遅れたので後悔はしていませんが。
そんな調子で大学まで地方暮らしだった自分は幸運にも,東京で働くというチャンスを得ました。「やった!これでマイノリティだった自分のことを分かってくれる人がたくさんいるであろう大都会で生活できるぞ!」と期待に胸をふくらませていました。
ただ,東京に行ったら全部解決されるかと思ったら,全然そんなことなかったんです。
東京にいる「いわゆるゲイ」には,いろいろと(めんどくさいくらいに)コミュニティが存在しています。よく話題に出る新宿二丁目での付き合いであったりとか,趣味の付き合い出会ったりとか,あるいはネット上での付き合いであったりとか。
なんとかそのコミュニティに入ろうと,勇気を出して二丁目の飲み屋にちょこっと入ってみても最初のうちはまともに喋れず,自分は何をしに行ったのだろう…と思って帰ってくることがほとんどでした。
それらの何が原因かって,自分がゲイだからとかそういうことでは全然なくて,単純に人と直接コミュニケーションをとるのがとても苦手だったからでした。
もちろん昔からコミュニケーションは苦手ではあったのですが,そのときは「自分はゲイだからこの人達とは考え方が違うんだ,だから話をしてもうまくいかないんだ」という言い訳が最終的にできていました。自分がコミュニケーション不全なのを性的指向が人と異なるせいにしていたんですね。
なので結局原因が自分のコミュ障にあることに気づいた時にちょっと唖然としました。今まで自分が信じてきた盾が,実はただの紙だと気づいてしまったのです。
そう考えていた就職したての私は「あっこれ思ってたのと違う」と判断して,結構自分なりにコミュニケーションに気を使うようになりました。他人の話題についていけるように周りの人が好きなものを密かに調べたり,好きになろうと努力したり,ちょっとおしゃれに気を使ってみたり,見た目を良くするために身体を鍛えてみたり…。
ただこれも全く正解なわけではなかった。
ある程度はゲイ社会でも対応できるようになってきたんですが,これもやっぱり外見だけの改造でした。性格的なコンプレックスまで克服出来たわけではなかったのです。
ゲイにもやっぱりカースト的なものがあって,てっぺんあたりにいる人は性格も人当たりもよく,頭もよく優秀で見た目も良い。
おんなじなんです。自分が学生時代に指をくわえて見ていたリア充とおんなじ。
外見も重要ではあるけれど,人間として人を惹きつける魅力があって,キラキラ輝いていて,そんな内面を持っている人が一番楽しそうにしているのです。
それはゲイでも,そうでなくても,全然変わりませんでした。
そして,どうしたら変われるんだろう,どうしたらこの内面もっとマシにできるんだろう,ってずっと考えて,最近ようやくひとつ覚悟を決めることにしました。
ゲイであることを理由にしないコミュニケーションの状況をつくってみよう,と。
今の自分はマイノリティであることを盾にして,甘えて,望んでいる人間関係が構築できていないことの言い訳を作っています。だから,一旦今まで嘘をつきながらも仲良くしてきていた友人に対して,この言い訳を使えなくすることにしました。
その結果が,冒頭に言ったカミングアウトだったのです。
正直,カミングアウトした相手がそれを告げたとしても受け入れてくれるであろうことに,ある程度の確証を持ってはいました。ただ,それでも今までは言えなかった。カミングアウトするその一言で,今までの人間関係が全部逆転しちゃうんじゃないかと怖かったんです。でも大丈夫だった。
もちろん,それだけでも僕の心に大きな安心を得ることができました。
でも,ここからが本番なのです。
ゲイであることを理由にできない関係になったときに,自分が本当に相手と向き合えるかどうか。
自分でも,自分のことを回りくどくて,面倒くさくて, 的はずれなことばかりしている存在だと思っています。
でも,それでも自分は自分の人生を諦めたくないから。放棄したくないから,立ち向かうようにします。
それでもし本当に,本当の本当に,骨の髄まで駄目だと悟ってしまったら。
その時は,海の藻屑になっているかもしれません。