いつかヒトになるためのレッスン

人生いったりきたり。

不安になる前に

自分に自信がないせいか,他人と一緒にいるときに「今目の前にいる相手は,自分といて楽しいと思っているのだろうか?」と不安になる時がある(割と少なくない頻度で)。そうしてそわそわしてしまったり,口数が少なくなったり,逆にフォローしようとして無理に会話をつなごうとしてしまう時があったりする。

この現象は相手が自分にとって嫌われたくない人だったり,大切に思っている人だったりするときに起きる(どうでもいい人は終始相手にどう思われていようが割とどうでもいいし,仕事上の付き合いの人はわりとわかりやすく線引きができるのでなんとかなる)。

要は自分が嫌われていないか,不安なのである。ラインで返事が来なかったりすると割とヘコむ派である。致命的ダメージじゃないけどちょっと心にくる。

その上,そんなふうに自分が不安に思っている気持ちが他人に伝染してしまうのが良くないから自分から楽しくしなきゃいけない,とか,不安に思うんだったら事前にもっと計画を練ってから行けばいいではないか,とか,色々考え事を増やして勝手に不安事を増やしている自分が一番の元凶なんじゃね?と最近思うようになった。面倒くさいことを考えて面倒を増やしているだけなんじゃないか,と。

 

もっと自分本位でいい気がするのだ。自分が楽しいと思えることをして,美味しいと思えるものを食べて,笑っていればそれでいいのである。

 

そして沢山動いて,楽しいことをするにはある程度の体力が必要なのだけれども,最近体力の回復力が落ちてきている気がする。年かな。

「心が叫びたがってるんだ。」観ました

今日は,公開されたばかりの「心が叫びたがってるんだ。」を観てきました。

最近映画でもアニメでも見るとすぐに涙がびっしゃびしゃに出てしまうんだけど何なのかな。病んでんのかも。

*ほんの少しネタバレあるかもなので,観てない方はご注意を。

 


「あの花」スタッフ最新作!「心が叫びたがってるんだ。」TVCM - YouTube

 

言葉って本当に便利なコミュニケーションツールで,本当にいろんなことを伝えることができます。ただそれはあくまで「不完全なツール」であると同時に,破壊力も持ち合わせているものです。使い方によっては,誰かを傷つけることになる。

 

言葉は単純なものです。同じ言葉を使って会話をしていても,相手が全く同じことを頭に思い浮かべているかは,正直わかりません。あくまで「同じ言葉を用いているから同じ概念を思い浮かべている」という仮定をしながら,私達は会話を進めています。

特に「心」とは何か,「愛」とは何か,といった抽象的概念になると,言葉で表しきるには到底遠い存在であるし,人によって解釈の仕方も千差万別です。ましてや,自分の気持ちを,その意図まで含めて正確に口頭で説明することなんてしきれない。

そしてこの映画の登場人物たちは,それぞれが感じていることを上手く言い表せなかったり,お互いに認識を違えたりして,修復不可能に見えるほどのダメージを,それぞれの心に負っています。

 

「誤った言葉」は,やがて人を縛る「呪い」になる。

その呪いは,誰もがかけてしまう可能性のあるものです。

でもその呪いを解くのもまた,言葉なのです。

 

直接相手に立ち向かって,自分の言葉で表現することができたなら,それに越したことはありません。でも,そんなに単純じゃないこともあります。

そういうとき,人間は「物語」を頼ります。それは小説であったり,絵であったり,歌であったりします。それに言葉では直接説明しきれないことを閉じ込め,託すことによって,何とか伝えようとします。

自分の言葉で表現することと,物語に託して伝えるのは,両輪の関係にあると思います。どちらかだけで成立させるのは,けっこう難しい。

自分は昔,特に学生の頃は,セクシャリティを外に出したり表現するのが怖くて,それがなくても人付き合い自体が怖くて小説を読むのに逃げていた時期がありました。否定されるのが怖いし,変な目で見られるのが嫌だし,嫌われたくないから。

でも,物語だけじゃ生きていけませんでした。結局は生身の人に行き着くのだなあ,と思いました。当たり前かもしれないんですが。

今でも嫌われたくないし,否定されたくはないけれど,それなりに深い付き合いができる人も増えて,どんどんと人付き合いが楽しくなってきています。嬉しいことです。

 

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映画館のある日本橋のコレドを鑑賞後にうろうろしてみると,お出汁をコップに入れて売っている店を見つけてびっくりしました。しかも混んでる。

とりあえず買って飲んでみたはいいものの,だしの旨味がそこまでよく判別できない。ちょっと,お出汁の良し悪しを素で判断するには時期が早いようです。

 

 

歌を覚えること

この前ちょっと時間ができたので,久しぶりに一人でカラオケに行って,一時間ずっと続けて歌ってきました。
一人カラオケは大学生のころから継続しているストレス解消法のひとつです。
普段は大声も出さず,そんなに激しい動きをすることもなく机の前に座っていたせいか,凝り固まる頭を身体を動かすことでほぐすのが,わりと自分のやりかたとして合っているらしい,と大学生になってから気づくことになりました。今はジムトレとたまにする柔道と水泳が主な発散手段ですが,昔は運動も特にしていなかったので,気が済むまで大声で好きな曲を熱唱することがもっぱらのストレス解消手段になっていたのです。
 
いつもはiPhoneのライブラリから歌う曲を探すのですが,その時はちょうど画面修理に出していて,何も持っていませんでした。だから,ふと頭に浮かんだBUMP OF CHICKENの曲を歌うことにしました。
 

 

ユグドラシル

ユグドラシル

 

 

 
中学校のころ飽きるほど繰り返し聴いていたこのアルバムの曲を,思いつく順番でとりあえず歌い尽くしていくことにしました。カラオケで歌った事が全く無かった曲もあったけれど,案外覚えているもので,ふつうに歌うことができました。
 
歌いながら,当時はいちいち歌詞の意味とか考えずに覚えていたんだなあ,と改めて思いました。「sailing day」や「オンリー ロンリー グローリー」,「車輪の唄」は本当に好きだったから歌詞も読んで,意味も読み取って感情移入しながら歌えたのですが,「embrace」とか「同じドアをくぐれたら」とかはえっ,こんな歌詞だったっけ?と思いながら歌っていました。ましてや「太陽」とかは曲の存在すら忘れていて結局歌わなかった…。
でも,聴くと確かに覚えているのが不思議。
 
自分は昔から,歌詞を全く見ずに歌手の声とメロディの流れだけで曲を覚える傾向があるようです。そして,気に入ったものだけ歌詞を調べ,ああこんな意味だったのか,と初めて気づく,という感じ。
 
自分の親は結構逆で,借りてきたCDの歌詞カードを丁寧にコピーして,あまつさえ写経のようにノートに書き写して歌詞を覚えていました。別にカラオケで歌うわけでもないのに。
でも,割と最近になって,自分も特に気に入った曲に関しては歌詞を手で書いてみるようになりました。読むだけだと,どうしても頭に残らないのです。書くと書いているその文字を手と目で感じて,意味を考えるようになるから,やっと覚えることができる。
手で書いている速度と手間であることも重要です。キーボードで打ち直すだけではやはり,頭から抜けてしまう。だから,書く。
そうやって書き残してきたものも,やはり多くを忘れてしまうけれど,ふとしたきっかけで思い出すことができる記憶になる。
 
「車輪の唄」を歌いながら,そういえば中学生の頃に歌詞をノートに書いてニヤニヤしていたなあ,結局昔から親と同じだったんだなあ,と思い出しながら,そんなことを考えていたのでした。
 
 
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そんな記憶が残っていると,年を経るごとに同じ曲に対する印象が違ってくるものもあるもんだなあ,と思ったりもします。
たとえば「乗車権」。昔はただおどろおどろしくて怖い曲だなと思ったし,歌詞を読んでもよく意味がわからない曲だなあ,と思っていたのですが,今となっては実感が湧きます。
 
「人間」としてどこか遠くへ行きたいと思うのなら,それなりの強固な意志が必要なこと。
間に合わせの意志では足りないこと。
ただ遠くに行くことだけを目的にして動くと途中で自分がどこに向かっているかわからなくなってしまうし,後戻りもできなくなる。
 
言葉にしてしまうと平凡なことのように見えますが,メロディと詞に変換されたものを聴くと自分の中の感情が刺激されるのはどうしてなんでしょうね。そこが歌の良いところであるとは思うのですが。
 
 
いつか自分がおじいちゃんになった時,ぼくにとっての思い出の曲はきっと演歌とか歌謡曲なのではなくて,バンプやゴーイングやZEDDになるんだろうなあ…と思うと,なんだか不思議な気持ちです。サンボマスターとか持ちだした日にはとてもファンキーな非モテおじいちゃんになりそう。ほほえましいことです。

はじめようと思います:「ゲイってどうやって働いてるの?」質問集

個人的にひとりインタビュー企画を始めようと思います

いろいろ思うところがあって,今の仕事へのスタンスに疑問を持つことが多くなりました。

だからといって即転職だ!と踏み出す勇気もなく,まだ頑張れる気はするぞ,でもこのままだとやばいぞ,と思ってきてもいます。

今までそこまで大それた人生の転機を迎えたことはなく,むしろ「絶対に,明らかな失敗をしないように」生きていくことを第一にしていたタイプなので,そういう「人生の決断が早急に必要だ!」という感じのことになると腰が引けるのですが,もうそうも言っていられない状況になってきたなあ,と感じています。

ただ,何の判断軸もなく,また身の回りで集められるような情報だけで今後の人生を決めるのもアレですし,せっかくならいろんな人の意見を聞いてみたい。

なので,ちょっとした試みをしてみようかと思います。

お仲間のゲイに「なんであなたはその仕事に就いてるの?ねえねえなんで?」と問うてみようかと。とりあえずいろんな人に。

お仲間さんが就いている職は様々ですが,ゲイが生きていく上で,みんなどんなことを重視して生きているのか(仕事自体のやりがいなのか,それともプライベートなのか,はたまた二丁目で生きていくことを生業としているのか),いろんな意見を聞いてみながら,「じゃあ自分はこうしてみるのがいいんじゃないかなあ」と決めたいという,とても個人的な目的を持っています。あと単純にみんな何を思って仕事をしているのか,気になる。

 

具体的には以下のようなことを質問したいと思ってます。

・どのような仕事をしているのか
・仕事について,次のうちどちらの側に自分は寄っていると考えるか(10段階のうちどこかで)。また,そう考える理由は何か。どちらにも当てはまらない場合はその内容と,その理由も。
食い扶持を稼ぐための仕事←―――・―――→自分のやりたいことを実現するための仕事
・いまの仕事についたきっかけはなにか
・(転職をした人は)どのような理由で,いまの職に移ったか
・仕事に求めることで,一番重視していることは何か(案が浮かばないようなら,以下の例を提示)
自己実現ができるか/仕事の規模/給料のよさ/環境の良さ(同僚・職場の場所・精神的負担)/勤務日・時間があっているか(残業時間の多さ,土日休み)など
・今までで一番いい仕事をした,と感じたことは何か。また,その経験は,その後の自分に活きていると感じることはあるか。
・今までの仕事で一番失敗した,と感じたことは何か。また,その際はどう切り抜け,解決したか。(解決できなかった,でもよい)
・自分がゲイであることで仕事に支障が出たことはあるか。あるとすればそれは何か。
・もし自分が働く必要がないくらいの大金を得たとして,今就いている職に就き続けたいと思うか。思うのならそれはなぜか。逆に思わないならぶっちゃけ何をして生きていきたいか。
 

というわけで,こんな感じの質問に答えてくださる物好きな方がいらしたら,twitterのDMなりLINEなりでこっそりお教え下さい。うまくいけば全く知らない方にも話を聞いてみたいのですが,最初は怖いので見知った方からでお願いさせていただきたいです。

もし話の内容をまとめてブログに掲載してもよい,という方がいれば,編集して(個人が特定されたりその他明かしちゃいけない情報は除いた上で)ブログに載せられたらいいな,と思っています。どこまでの人が見てくれるかはわからないけれど,結構興味ある人はいるんじゃないかなと思っています。

ブログはいやよ,という方もお話きかせてください。あくまで目的は僕自身が今後の人生どうしたいか悩んでるのを解決したいことなので(笑)。お悩み相談に乗ってくださる人生の先輩がいらっしゃれば,もしくは愚痴を聞いてくれるだけでも嬉しいです。

 

とりあえず言い出しっぺから,ということで,最初は自分をネタに色々見本記事を書いてみようかと思います。もし興味を持ってくださった方がいらしたら,お知らせくださいませ。

かたちづくること

自分が何したいのかわからなくなってきた,と今まで割と深刻に思ってきて,そろそろ気づいているのに自分の中で認めるのを避けようとしていることがある。

つまり純粋に「自分が何したいのかわからない」というわけではなくて,「なんかやってみたいことはぼんやりあるけどどうしたらそこに行きつけるのかわからないしそのために努力するのがめんどくさいからとりあえず逃げたい」という気持ちなんだなあと。

そもそもそんなにまじめに10年後の将来とか考えてこなかったもの。考えてきてたらこんなに自分で自分のことを中途半端な人間って思わないと思うし。せめて考えられて1年後か,もしくは半年後くらい。

でも,そろそろ社会人4年目になって,ちょっとずつ周りが見えるようになってきた。「このままのうのうとし続けていると,まずいな」と思えるようになってきた。努力はやっぱり必要なんだなってわかってきた。しかもその努力がある程度自分が意識できる形で積み上がっていないと,それは自分にとって意味を成さないんだなと思えるようになってきた。

今までまとまった量の努力を(いやいやではなく,業務上の強制に迫られてでもなく)してこなかった自分が,自分の思い描く人間になるために,努力する時が来た。

一つ一つ,やっていくしかないんだ。自分が足りないと思ったこと,やりたいと思ったことを,やってみないと何もわからないんだ。

だから,自分がまず実践するしかないんだ。吐き出すしかない。

やってみよう。

言霊

最近,仕事が正直うまくいかないことを理由に何かと文句をつけて「自分のせいではない」と釈明することが多くなってきた気がする。

仕事をやってりゃ納得出来ないことは多かれ少なかれあるだろうし,それにいちいち文句をつけるのは簡単だけれど,だからといって仕事を投げ出すのはかっこ悪いのであって。その仕事をしている最中は,その仕事に全力を尽くしたほうが,得るものが多いはず。

と思ってやったほうが気が楽だ。ほんとに何やってるかわけわからん仕事もあるから,そういう時はどうしようもないかもしれないけれど。

「自分がもう嫌だからやりたくない」と言い続けると,その言葉が自分を汚染していって,自分がやりたくないことは主観でシャットアウトしてしまうような人間になってしまう。そういうことになると自分のためにならないし,結果も出ないし,なによりつまらない。

本当に自分のやりたいことしかしないのは,たとえ自分で起業しても好きなことを仕事にしても,絶対に実現不可能だ。嫌なことをやり過ごせるように自分を変えるか,(自分が)嫌なことでも目的につながっていることだけに絞って何とかやるか。

何かしら嫌なことをやるにしても,それが何か意味のあることと理解してやれるように,自分で考えてやっていくようにしたい。

愚痴の効力

昨日会社の同期と後輩に誘われて,ちょっと仕事帰りに飲みに行った。そこで話されたのはサラリーマンによくある話題で,つまり上司と会社への愚痴だった。あの先輩はここがダメだ,あそこがしっかりしてない,上司である資格がない,もう限界だ,などなどなどなど。

その時は「はあ,大変だねえ」とひとまず話を聞いてそれなりに盛り上がり,帰って普通に寝て今日も仕事に行ったのだけれど,なんだか今日仕事しててものすごくだるかった。

まあ普通に仕事したくない気持ちも元からあったのだけれど,それにしてもつらい。つらすぎてクエン酸がたっぷり入っているグレープフルーツジュースがうまいうまい。

そういうわけでなんで自分がこんなに疲れているのかと過去の行動をたどっていったところに,「同期と後輩から聞かされた仕事の愚痴」が挙がってきたのである。

ただの愚痴だけなら別にそんなにダメージが無かったのかもしれないが,今回は何か違うと思った。要因を整理して,自分もスッキリしておこうと思う。

 

おもいっきり自分の事を棚に上げて文句ばかり言っている

「先輩って後輩の仕事のクオリティがちゃんとしてるか確認する役じゃん?確かにおれの実力不足は否めないけどさあ,ちゃんと見てほしいんだよねえ」

って喋られた時点でお前しっかりしろよ新人じゃねえんだぞもう,って思ってしまった。

大抵の仕事は(特にある程度の大きさのある企業だと)その質を担保するために,成果物に対して複数の目を通す。その過程で上長のチェックが入るわけだが,「適切なタイミングで適切なフィードバックが来ない,上長として信用出来ない」という文句を言っているわけである。

もちろん上長は部下がトンチンカンなものをうっかり出さないようにチェックするのが役目なわけだが,すべての上長がそんな出来た人であるわけではない。チェックがザルな人もいるし,細かくネチネチした人もいる。でも,そもそも自分で成果物を作って出す段階で,自分がある程度納得したものを出さないとチェックしても直しようもないものだったりする。それを全部直して指導する責任が全部上司にあるのだとしたら,それはちょっと気を抜き過ぎなんじゃないか,と正直思ってしまった。

 

理不尽な状況に対して自ら解決しようとする行動を起こさず,文句だけ言う

そんなに文句言うなら一回ブチ切れればいいんじゃない,直接言えばいいんじゃない,そんなに年の離れた上長でもないしまだ言えるでしょ,って相手に言うと,「いや,そろそろ限界だから言おうと思ってる」と返ってくる。

それだけ鬱憤を抱えているのだから,それはそれは恨みがこもった文句を聞かされているのだが,傍目から見ていると割と一回話しあえば何とかお互い気をつけられるようになるのではないか,と言う程度の問題に見えるのだ。それでも相手が直接話し合いで解決しようとした気配はない。かといって距離をとることもない。

そりゃ鬱憤がたまるのは当たり前だろうなあ,と思った。それが結構年上の上長でおいそれと文句を言ったもんなら課からハブられてしまう,といった感じの人が相手であれば愚痴で片付ける気持ちもわかるが,相手はまだ年の近い先輩である。さっさと言って解決したらいいのに,とずっと思ってずっと言ったが,結局直接話し合って解決するかどうかの意志は聞かずに飲み会は終わってしまった。

 

溜め込みすぎて爆発する前に,直接説得するか,逃げるかしたほうがいい

結局昨日同期の何にダメージを受けていたかというと,「まだはっきり言うかはっきり逃げるかすれば何とか切り抜けられそうなのに,あえて正面から突っ込んでマトモにダメージを受けて腐って,周りに恨み節をまき散らしている」という同期から降りかかってきた「瘴気のような悪口」の余韻がまだ頭に残っていたからなのでは,と思う。愚痴を聞かされて嬉しい人はいない。むしろダメージとその相手に対する偏見しか産まない。

せめて愚痴を言うとすれば「こういう仕打ちを受けてるんだけど,自分は悪くないよね?相手にもうアクションを起こすか逃げようかしようと思ってるんだけど,その選択は間違ってないよね?」と,その人の行動に繋がる形で「現状がどれだけおかしいかを客観的に判断するための確認」として言うのであればまだわかる。でも「ただ気に入らないから文句を言う」とか「不満だけど本人に言う勇気がないから言いやすい人に管を巻く」とかいう方法で愚痴を言ってくる人ってほんと何も生み出さないなと思った。

嫌なら行動を起こすしかない。無理矢理にでも。

それができずにくすぶっている人は,それなりの生活しかできないんだろうな,と思った昨日と今日であった。