いつかヒトになるためのレッスン

人生いったりきたり。

ファイト・クラブ_チャック・パラニューク

 

 

  本当に久しぶりに自分の人生史上で両手の指以内にランクインする小説を読んだ。

最近ボクササイズを始めたのと,スマホSafariであとで読むと思いながらずっとずっと開きっぱなしになっていた下の記事を消化のために読んだのがきっかけでこの小説を選んで買って,2日で読んだ。

geek-out.jp

 

人は誰しも心の中にやりたいことや成し遂げたいこと,本当は思っているのに表に出せていないことを持っている。これは推測ではなくて確信だ。

よくお酒に酔うと自制心が薄れて本性が出ると聞くけれど,たぶんあれはホントなんじゃないかと思う。自分が理性の裏で無意識に膨らませた欲望や願いが,暴力的に流れ出ているのだと思う。その本性が社会的に許されるものか否かは別問題として。

 

この小説の中には,人の心の奥底にはマグマのように溜まっている欲望がある,ということを,それこそ頭を何度も殴るように再認識させてくれる爆弾が組み込まれている。「人生は一度きりだから,自分のしたいことをしよう」とほざく自己啓発ブログを1万回読むより絶対に,圧倒的な効果をもたらしてくれる。

 

この物語が問うているのはただひとつ。

「お前は本当は何がしたい?」ただ,それだけだ。

 

無意識に蓄積した欲望は,余計なものをことごとくかき分けると案外簡単に顔を出すものだ。最初から最後まで名前をもたない「ぼく」は,読者が自分を押し当てて人生を内省するための最高の器になる。物語を追ううちに,「ぼく」はあらゆる暴力の中にまみれながら,自らの腐ってしまった人生を一度踏み潰され,すべてを失うハメになる。

我慢してまで他人に合わせる「いい子」の人生はクソくらえだ。お前の胸に手を当ててよく考えろ,お前はお前の人生を生きてきたのか?と何度も殴られながら考えるうちに,いつしか心がむき出しになって暴れだすようになる。

そうなったら,新たな「タイラー」の出来上がりだ。

 

この本を,まだ人生をやり直せる今の時期に読んでおいて本当に良かった。

というか男に生まれてこの小説を読めて本当に良かった。女性には女性にしか感じられないであろう感覚があるように,これは男でなければ感じられない感覚だろう。

こっから人生,殴り返していこう。何度殴られたって構うものか。

自分を組み替える

2月・3月に続けて旅行に行ってから大分仕事に忙殺されていたのと,筋トレの成果が急に出てきていま着ている服が軒並み小さくなったり履いているパンツがもれなく股擦れで裂けたりして,だいぶ窮屈に思うことが増えてきた。

ふと部屋を見回すと,積んである本はかれこれ半年以上は手を付けていないものばかりだし,クローゼットの中もいつから着ていないのかわからない服だらけになっていた。

 

昔から,何年も経って古くなってしまっても同じものを使い続ける人のことがあまり理解できなかった。どう考えても使い勝手の悪いものだし,ずっと使うことが必要なわけでもないものを使い続ける人を,難儀な人だなあと横目で見ながら生きてきた。

自分の家庭が転勤族で,小さい頃2〜3年に一度は引っ越しを続けてきたことも影響しているのかもしれない。荷物が多いとそれだけ引っ越しの準備も面倒だし費用もかかるから,持っているものは定期的に「今の自分に必要か」という厳しい鑑定をくぐり抜ける必要にさらされた。不要と判定されたものはみんなフリーマーケットに出して,値切りに抵抗しながらもそれなりの小銭に変わっていった。

最初から手放すことを意識しながらものを買うから,消耗品以外は丁寧に使う癖がついた。ゲーム機の箱も乱暴にせず綺麗なままで保管しておいて,必ず古い本体とソフトをぜんぶブックオフに二束三文で売り出してから,新しい本体を買っていた。

どうしても手放せなかったのは,昔から途切れ途切れにつけていた日記の束と,なけなしのお小遣いをはたいて買った本と漫画くらいだった(その漫画も本当に手元に置いておきたいもの以外は,ことごとく手放すようになるのだが)。

服も本当に気に入ったもの以外は,数年経ったら何の執着もなく捨てるようになって,そのぶん新しいものを定期的に買うようになった。未だに同じ家に長く住むのは辛いと思ってしまうし,東京に来てから3年より長く同じ家にいたことはない。

 

自分は自分の管理する領域の中に,自分と合わないものや古びてしまったものがあると,自分が少しずつ腐っていくような感覚がしてとても嫌になってしまうのだと思う。自分の領域は,自分が気に入ったものを置く場所にしておきたい。不要になったものは追い出したい。少なくとも3年に一度は,環境自体でさえがらっと変えたくなってしまう。

たぶん,自分は「変化」を感じているとき,とても充実感を覚える生き物なんだと思う。だから日々の生活で鬱憤が溜まったりすると,定期的に自分を構成する内外のものをがらりと変えたくなる時期がやってくる。

そのくせ,本当に自分を組み替えるために必要な地道な努力は嫌うんだよなあ…。インスタントに効果が感じられないと,すぐ放り出してしまう。唯一筋トレだけが,社会人になってから途切れなく続いている努力だ。これがあるだけでもだいぶマシだし,心も身体もとても救われた。

 

とりあえず,今すごく自分を組み替えたい,という欲が高まっているのです。それまでは何でもダルかったのが,いざ自分を組み替えよう,と決心していろいろ考えていくと,「今回もやったるか」という気持ちになってわくわくしてくるんだよなあ。良いことだ。

次は何をして,自分を組み替えようか。

 

グレイテスト・ショーマン ― ミュージカルとしての「快感」に振り切ったエンターテイメント映画

※映画の感想なので,ネタバレが含まれるかもしれません。まあネタバレして困るようなストーリーではないので,べつに気にしない方はどうぞ。

 

 

巷で話題になっているミュージカル映画,「グレイテスト・ショーマン」を観てきました。いい映画だった。


映画『グレイテスト・ショーマン』予告D

 

 

ぜんぜん本数を観てないのでアレなんですが,ミュージカル映画ってストーリーを深く掘り下げて楽しむものというよりは,結構お決まりのストーリーがあった上で,それに合った音楽と踊りを楽しむ映画,というものだと思ってます。定型的な役があって,先が予想できるストーリーがないと,安心して歌に集中できないから。

そういう意味でこの映画は,その「ミュージカルとしての快感」を感じる上ではとてもよい映画だったと思いました。観てスカッとする感じ。

 

なんでこんなにストーリーのことに触れて感想を述べているかというと,この映画はアメリカでは「観客からは賞賛されているが,批評家の評価が真っ二つに割れている映画」だというのをウィキで見たから。

グレイテスト・ショーマン - Wikipedia

 

確かに観たあとに思い返してストーリーを点検してみると,わりとガバガバというか,わかった上で切り捨ててんじゃないかみたいなところが散見されるのです。

・サーカスという「フリークスを集めて見世物にしたショー」という,人権的観点からみて結構重いテーマを持ってきているのに,フリークス側の心理描写はそんなにクローズアップされずさらっと流されるか,めっちゃポジティブに描かれる(挿入歌の「This is Me」が最たる例)

・というかフリークスがバーナムに優しすぎる(蔑まれても反乱しないし面と向かって文句も言わない。アニーのパートで人種差別的な苦悩は描写されるが,割とさらっと流される)

・サクセスストーリーとして描くので結果的にご都合主義的な展開になり,差別的なテーマを扱った映画としてみると物語が薄っぺらい

 

マイノリティ的な目線で見ると,ストーリーの掘り下げとしては全然足りないのですが,つまりはそこら辺の掘り下げに重点を置いてないってことで。ミュージカル映画としてはみんな幸せ!成功!やったね!くらいの気持ちで観られるものならいいんじゃないかな,という気持ちです。

 

逆に心理描写の細やかさや苦悩を描くところに重点を置いたのが昨年の「ラ・ラ・ランド」だと思うのですが(2作とも同じチームが音楽を担当),そこは「ラ・ラ・ランド」の方が優秀でした。ラストの曲でストーリー回想が入るところとかめっちゃ泣いた。苦悩の描き方がうまかった。

 

こういう映画を観ていてストーリーの掘り下げ方とか,ご都合主義が気になるのはまあそうだと思う。ギレルモ・デル・トロがまさに同タイミングでそれをテーマにした映画を作っているくらいだし。

ギレルモ・デル・トロ「テレビの中の怪獣だけが友達だった」 | 文春オンライン

 

賞を獲る作品として評価するのであれば,上記のようなテーマ設定とか掘り下げ方にこだわった作品が上位にくるのだと思うのだけれど,結構自分でもマイノリティの面倒な面を体験してるのに,映画でもそういうの観続けたり求め続けるの辛くないですかね,というのが正直な自分の気持ち。だったらせめて物語くらいはエンターテイメントとして昇華して,単純に希望が持てるものを観たいなあ,という。

 

ここらへんの心情整理が難しい。たまにそういうのがテーマド真ん中にある作品も見るのだけれど(邦画でいうと「告白」とか「怒り」とか),自分はテーマが重すぎて感情移入しすぎてしまって,観た後しばらく具合が悪くなる。映画の質がダメってことじゃなくて,自分の人生の処理で一杯一杯なのに映画でもそういう苦悩を体験するとかなんでそんな辛いことをしなきゃいけないんだ,みたいな気持ち。まだ小説だったら自分のペースで咀嚼できるからマシなんだけど(クッツェーの「恥辱」とか読んでる時はほんと地獄かと思ったけど),映像化されるとインパクトが強すぎて軽くノイローゼになる。

 

恥辱 (ハヤカワepi文庫)

恥辱 (ハヤカワepi文庫)

 

ブッカー賞受賞作。個人的にはクソみたいに胸糞悪い話なので耐久力に自信がある方はどうぞ。高名な賞を獲る作品ってのはこんな感じだと個人的に思ってる例。

 

自分はそんなに耐久力の高い人間じゃない。ので,せめてそういうテーマでもエンターテイメントとして仕立て上げてあるものが好きなのだなあ,と。だって,辛くても笑って乗り越えていきたいでしょう?

だから今回の「グレイテスト・ショーマン」は,自分にとってはとても良い作品でした。

 

 

※映画内の曲,どれも好きなんだけど,一番好きなのはザック・エフロンゼンデイヤが歌う「Rewrite the Stars」でした。というかザック・エフロンが完璧な色男に成長していて軽く惚れた。

 


Rewrite The Stars (from The Greatest Showman Soundtrack) [Official Audio]

 

どんな状況でも星は描き直せる,と思って生きていきたい。ずっと。

 

絶対的な意見を持つと疲れる

突然ですが「なにがあっても絶対嫌な人」ってみなさんの中には存在しますか。

ぼくにとっては「歩きタバコをする人」がそれに当たります。

どんなに仕事ができるように見えても,どんなに人格者に見えても,歩きタバコをする人は一切合切無条件に消滅していただきたいと思うくらい嫌です。

どっか道端に止まってタバコ吸ってるのはまだ理解できるんです。家の中でタバコ吸えないのかなあ,大変だなー,って思うくらい。

でも歩きタバコする人ってダメなんです。歩いてる間も我慢できないくらいタバコが好きならタバコにまみれた汚水の沼に落ちてそのまま沈んでいって欲しい。というか沈めてやろうかと思う。もしくはタバコを持ってる腕を持って膝蹴りをかまして腕を関節とは逆に折りたい。

 

まあどれだけ歩きタバコする人が嫌いかについては置いておいて,こういう「他の要素がどうであれこれだけは絶対に◯◯」という気持ちを胸に持って生きていると,それに当てはまる対象と出会う度に無条件にそのことについて考え始めちゃうんですよ。

これがものすごく面倒くさい。というか疲れる。

ぼくが道行く中で歩きタバコする人に出会う度に腕をへし折っても,この短い人生の上でたかだか数人くらいにしか効果がないんですよ。そして絶対に日本から歩きタバコをする人はなくならない。それは絶対にそう。

だから,自分がコントロール不能な領域に対して絶対的な意見を持つのって,不毛だなあ,と。

(それを突き詰めて考え続けて,人の腕を折らなくても解決するような方法を編み出せる人って本当にすごいんだなあと思います。はやく歩きタバコの領域に対しても出てきて欲しい)

 

そう考えると日本で育まれた「無常」っていい概念だなあ,と。

すべてのものに絶対はない,と考えれば,だいたいのことには心を揺さぶられずに生きていける。あんまりひとつのことに拘泥しなくて済む。

前も記事上でこの本を挙げたけれど,これに書かれていた「人はこれからもっとバラバラになって生きていく」という言葉が頭のなかでずっとくるくると動き続けています。

これから,人はもっとバラバラになりながら生きていく。絶対的な自分,絶対的な相手というものは存在しないし,「日本人」という概念すら,保てないくらいバラバラになってしまうかもしれない。

その中で,「心からわかりあう」なんて瞬間は,もしかしたらこの先ずっと訪れないかもしれない。

でも,それでも「わかりあえないこと」を前提として生きる,と考えると,たいぶ気持ちが楽なのだと思います。

「コミュニケーションとは,他人と同じ気持ちになるということではなく,他人とどこが違うかがもっと微細にわかるようになることだ」というのは上記の本の帯に書いてあるコメントですが,確かにそのとおりだなあ,と。

 

歩きタバコする人のことにいちいち頭の労力使うくらいなら,もっとなんか,おいしいごはんのこととか考えとこう。ラーメン食べたい。

2018年1月に読んだ本

今年は沢山本を読みたいので,毎月どれくらい読めたかの確認も兼ねて月次で読んだ本の紹介でもつらつら書こうかと。

 

というか今月は親にカミングアウトしたり飲みで最大級の醜態かましたり仕事も色々山があったりと人生史上稀に見る精神押し潰されキャンペーン月間だったのですがなんとか今日も生きております。泣きたい。

 

さて本の紹介です。今月は2冊だけだけど。

 

蜜蜂と遠雷恩田陸著) ★★★★★

蜜蜂と遠雷

蜜蜂と遠雷

 

 

音楽とは,麻薬だ。

聴く人々の心をいとも簡単に揺り動かし,打ち上げ,振り落とす。

聴く人ですらそうなのだから,それを演ずる人々はもっとそうだ。

3年に1度のピアノコンクールを中心に繰り広げられるこの物語は,異質な才能と共に現れた天才少年・風間塵や,一度は神童と呼ばれながらピアノを止めてしまった栄伝亜夜といった,ピアノに人生を捧げる人々が織りなす青春群像劇。

一度ピアノに囚われた人は,決してそれが生み出す絶頂の感覚から逃れることはできない。苦しくて悔しくて,絶望して,でもしがみついて。魂を燃やしながらピアノに食らいついていく登場人物の姿がまぶしかった。

決して天才だけの物語ではなくて,努力型の「凡人」である高島明石が組み込まれていたのも,自分にとっては救いだった。

作中で弾かれた曲を同時に聴きながら読んでいたらすごく楽しかった。特に気に入ったのはサン・サーンス「アフリカ幻想曲」,バルトーク「ピアノ協奏曲第3番Sz.119 第3楽章」,ドビュッシー「喜びの島」の3曲。

 

 

■観察の練習(菅俊一著) ★★★☆☆

観察の練習

観察の練習

 

 

21_21 DESIGN SIGHTの「単位展」「アスリート展」に関わった菅俊一の初単著。物事の切り取り方というか,視点の置き方がすごいなあ,と思っていて買った本。

表紙の装丁から結構凝っているというか,判型も単行本にはほとんどないA6版だし,鰐皮みたいな加工してるし上に題字がへこむようにラミネート加工みたいなの上にかぶせてるしいくら使ってんだ贅沢すぎだろ!という感じで装丁マニアにはたまらない(?)感じの本です。

中身は中身で,あの展示の視点を習得するためにはこういうふうに物事を見ているんだなあ,という菅さんの考えが読めてよかった。単一の者を見ているつもりでも,人によって見方が同じだったり違っていたりして,面白いよね。

 

 

 

今月は3冊は読みたいけどいけるだろうか。いける気もする。なんとか。

銭湯の話

落ち込むことがあると銭湯に行くようになったのは,いつからだったろう。

 

仕事でなにかミスをしてしまったとき。謝らなければいけないところでちゃんと謝れなかったとき。何かやらかしてしまって,迷惑をかけたとき。精神的にすり減ることがあったとき。

まず浴槽につかってから全身を洗って,あとはサウナか熱い風呂に入るのと,水風呂に入るのを繰り返す。だいたい3,4往復すると満足して,最後にぬるめのお風呂に入ってから風呂を出る。そうすると,だいたいスッキリした気分になる。

 

サウナや熱い風呂に入っている時は「熱い」と思っていれば済むし,水風呂に入っている時は身体が冷たくなった反動で頭がぼうっとして,やっぱり何も考えなくて済む。それを何回か繰り返すと,強制的に悶々とした気持ちを頭から追い出すことができる。

ただこれって,ただ一旦落ち着くための応急手当であって,風呂に入ることで根本の問題が解決するわけではない。やらかした仕事のミスはそのままだし,謝れなかった事実は変わらないし,かけた迷惑が煙のように紛れて消えてしまうわけでもないのだ。

 

人生にリセットボタンはない。

一度起きたことは,なかったことにはならない。

同様に人生は数式ではないので,プラスの出来事とマイナスの出来事があった時にそれらが相殺されてプラマイゼロ,なんていうこともない。

ただプラスの出来事がひとつと,マイナスの出来事がひとつある,というだけだ。

それらをぜんぶひっくるめて背負いながら,少しでもマイナスが増えるのを防ぎつつ,プラスをもっと増やせるように生きていくしかない。

 

でも,どこかで気持ちを立て直さないといけないときはある。

だから,風呂に入った後に思っていたいのは「明日からまた頑張ろう」であって,「ああリセットされた,よかった」ではない。

明日からまた,頑張ろう。

ひとり自宅ライブの日

今日はどようび。

年明けから数週間くらいバタバタしながら過ごしてきたので,午前にパーソナルトレーニングがあった以外はなんにも予定のない,平和な一日でした。

パーソナルトレーニングしてもらうのも今月でまる2年になりました。ちゃんと成長できてるかな。きっとできてるはず。)

 

トレーニングが終わってお昼を食べて,もうお昼すぎ。いつもだったらどっかふらふら外をさまよって,アキバに麻雀うちにいったりひたすらゲーセンをぶらぶらしたりして時間を過ごしていたのですが,なんか今日はちょっと疲れたなーと思ってそのまま家に帰ることにしました。

帰る途中に無印で新しいバスタオルを二枚買って,ニトリで台所のシンクの下を2段にする棚を買って,ベッドのシーツを変えたり,その時にベッドの中から掘り起こしたピアノを練習してみたり,昼寝したり,fgoしたりしてたらもう夜でした。

 

 

すっかり晩飯の時間になったけど全く作る気も食べに行く気も起きなくて,ぼーっとメールを見てたらドミノピザのLサイズピザ半額クーポンがあったのでポチッとしてしまった。

んで,誕生日の自分へのプレゼントに買った星野源のライブブルーレイもまだ明けてなかったので,ピザ食いながら見ようと思ってごそごそ取り出したのでした。

 

 

恥ずかしながら人生でアーティストのライブ映像作品買ったの生まれて初めてなのでした。Perfume好きって言っておきながら全くライブDVD買ってない。のに星野源が追い越してしまった。あわわ。

 

40分かかりまーすって言ってたドミノピザが20分で来たから,慌てて再生し始めたライブを一時停止して机のものをどけて,いざ本編視聴開始。

 

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いざライブ開始

 

死ぬほど楽しい。

びっくりするくらい楽しい。ピザ食べてるうちは電気つけて見てたんだけど,途中からこれ暗くしたほうがいいやつだよね?と思って電気消して真っ暗の状態で見たらめっっっちゃ楽しいの。やばい。

ライブDVDってアングルのとりかたがほんとにきれいなので,最高の状態でライブを見られる。特等席って言われる理由がわかった。とてもわかった。

 

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後光かってくらいアングルが最高


一人で旅行は行くくせに普段の休みだと一人で何したらいいか最近わかんなくなってきちゃって,なんとなく外に出てブラブラしたりとか,ゲームしたりとかして時間を潰したりしてたんだけど,家でごろっごろして,好きなことして過ごす休日ってふつうにいいなあと思いました。

 

というのを28になってしみじみ感じるというね。今更感あるよね。

まあいいや。良い一日でした。ねむい。