いつかヒトになるためのレッスン

人生いったりきたり。

「宇宙よりも遠い場所」 ― 「どうせできない」という呪いを吐く生ける屍を殴れ

先週あたりにAmazon Prime Videoで「宇宙よりも遠い場所」というアニメを見ました。

無料配信期間が終わるギリギリのところで見切れました。思ったよりもずっといいアニメで,1日で1クール全話見てしまった…。

 

宇宙よりも遠い場所 STAGE1「青春しゃくまんえん」 アニメ/動画 - ニコニコ動画

↑1話だけならまだニコニコでも見られるはず。

 

ものすごく簡単に言うと「JK,南極へ行く」というアニメなんですが,物語の随所に「夢を見てそれに邁進する人に対するやっかみ」「親愛なる存在との別離」「集団で生きていくことに伴うトラウマ」「共通感覚の不一致によるコミュニケーション不全」など,人間関係に関する割と重いテーマが複数横たわっていて,でもそれを軽やかに,正面からヒロイン・報瀬(しらせ)が殴り飛ばしていく爽快さのバランスが絶妙なアニメでした。

※ご存知の方も多いと思うんですが「しらせ」って南極観測船砕氷艦の名前なんですよね。そこらへんも本人のイメージにあわせて名前を当てたのかな,って思うとめちゃくちゃ良い。

 

人間というのは,「意志」をもって生きることができる,おそらく唯一の生き物だと思います。はるか昔から,たくさんの人が,たくさんの夢を見てきていて,それを一つひとつ積み重ねて今の世界があるのだと思っています。

今の私達は,過去にたくさんの「英雄」がいた事を歴史の授業で知っています。それどころか,ネットの発達によって今,この同じ世界に,たくさんの「天才」や「成功者」がいることを知っています。その人達と比べると,自分はなんてちっぽけな存在なんだろう,何も大きなことを成し遂げられない存在なんだろう,と思うことも,時々あります。

 

誰しもが,今までの人生で少なくとも一度は,「いつかここへ行ってみたい」「ああいう人になりたい」「あれがしたい,これがしたい」とか,何かを願ったことがあると思います。でも「ここはちょっとすぐには行けなさそうだから,まずはここに行ってみよう」とか,「まずはこの勉強をしなきゃ」とか,「とりあえず家の掃除から始めるか」とか,その願いと現実との距離感を図りながら,中間地点を設定して,少しずつ,願いに向かって進んでいく。

その調整をずっとずっと続けていけた人は,その願いを叶えます。何度か失敗しても,道程を探して,調整して,必ず。中には諦める願いもあるかもしれないけれど,願う力が強ければ,そして願い続ければ,人間はそれに向かって歩き続けられるように設計されています。

 

でも,何度か調整をしてもその願いが叶えられなくて,願いを他のものに切り替えてもやっぱりうまくいかなかった人。または何らかのタイミングの不一致や何らかの事故で決定的なダメージを受けたりした人は,まず自分が願うことを諦めます。

諦めるというか,放棄するというか。願うことと,それに付随する努力のすべてを放棄する。それだけだったらまだ他に影響はないのですが,そうなった人たちは他の人にも同様の「呪い」をかけ始めます。

「どうせできない」「やめたほうがいい」という言葉の呪いです。「あなたのためを思って」とかいうワードが出てくるとより最悪です。

もっとこじれると自分が気に食わない存在を片っ端からバカにして,叩くようになります。

自分の願いが叶わない,でも隣人は生き生きと意志をもって願いを叶えていく。それが妬ましくて,自分と同じ道に引きずり込もうとする。どうせやってもできない,と他人を笑い,ときには傷つくだけだからやめたほうがいいよ,と善人のふりをして願いを諦めさせにかかる。まるで人間の皮をかぶったゾンビのように。

 

冗談じゃない。

ゾンビに生者の見る夢を阻害する権利はない。

 

ゾンビが発生する理由は人それぞれだとは思うのですが,ネットの普及によって,今まで自分の居住地周辺では目に触れることのなかった「成功者」を間近で見ることができる機会が増えすぎてしまったのがひとつの原因のような気がします。「きらきらした/楽しそうな/優雅な日々を送ることができている人がこんなにたくさんいるのに,なんで自分は」と思ってしまう機会は圧倒的に増えていると思います。

そういうの,見ていると「これが自分の欲していたものなんじゃないか」って勘違いしてしまうのが一番よくない効用のような気がするのですよね。かつて自分が願っていたものとはかけ離れているもののはずなのに,いつの間にかそれがすり替わってしまう。

 

話はアニメに戻りますが,物語の中でしらせが願った「南極に行きたい」という願いは,みんながみんな願う類のものではないんです。でも,他の人はそれを笑って,バカにした。素直に応援できないのは,その他大勢の人たちが自分の願いの面倒もロクにみられないゾンビばかりだからです。

それをしらせやキマリ,日向や結月は「ざまあみろ!」と正面から殴り飛ばした。このアニメの最高なところはここにあります。

 

ゾンビを生者に戻す唯一の方法は,「自分の行為が最高に愚かだと自覚させること」です。救いの手を差し伸べることでは,ゾンビ状態は治りません。白魔法にあてられて消滅するだけです。殴ってわからせるしかないんです。

殴られると痛いです。でも,痛みを受け入れないと絶対にゾンビは自分が愚かだったと自覚できない。それでも治らないようだったら,もう救う価値自体がない。

 

「願い」が叶わないこと,それ自体に落ち込む必要はありません。みんなに宝くじの1等前後賞が当たるわけではないし,みんながモテモテになれるわけでもない。みんなが時代の寵児になれるわけでもない。でも,「願い」は大小にかかわらず無数に存在するはずで,それぞれにとってちょうどいいサイズも種類も違います。

だから,他人をあざ笑う前に,他人を晒し上げて叩く前に,まずは自分の願いを追い求めたほうがいい。自分が願いを追い求めている時には,他人を叩くのに労力を割く余裕なんてない。だって自分のために生きることのほうが,ずっと楽しいから。

 

願いを,夢を追うことは,楽しいですよ。

(やっと最近それがわかってきた,元ゾンビより)