いつかヒトになるためのレッスン

人生いったりきたり。

「君の膵臓をたべたい」―他者との関わりのなかで生きること

ちょっと時間ができたので,家にある本や雑誌類を少しずつ消化している。消化するスピードを上回って本を買ってきてしまうので,全然積み本がなくならない。なんてこった。

この「君の膵臓をたべたい」も,そのとき買ってきた本のうちの一冊。

 

君の膵臓をたべたい

君の膵臓をたべたい

 

 

思えばしばらくの間,まとまった量の小説を読んでなかったなあ,と振り返って思った。いや,正確には「世界から猫が消えたなら」くらいは読んだのだけれど,あれは小説というよりかは映画の台本に近くて,あんまり印象に残らない感じだった。あれは映画のほうが絶対にいい。

で,この「君の膵臓をたべたい」。デビュー作にして2015年の本屋大賞第二位の作品。題名のインパクトとアンマッチな優しいタッチの装丁,そして中身が目を引いたのか,とても売れている模様。

 

高校生の話で,自分以外の人間と関わる気のない主人公と,溌剌とした女の子・桜良のふたりの掛け合いで話が進行していく。

会話のテンポが良くて読みやすいし,心情の変化もわかりやすくて好感が持てた。ただ,表紙のカラーリングからか,桜のイメージからか,桜良の性格からか,なんとなく「四月は君の嘘」が頭をかすめた。ので,桜良のビジュアルが完全に宮園かおりとかぶった形でイメージされた。いや,ストーリーは結構違うので,全然いいのだけど。

 

ある相手に惹かれて興味を持つ時,というのは大きく分けて2つのパターンがあると思っている。

ひとつは自分と同じ要素がある,と感じる時。

もう一つは,自分と逆の要素があると感じる時。

今回の物語は,後者の方のパターンにあたる。

そして,おそらく後者の方が,驚きと発見にあふれた出会いとなる,と思う。

 

人と人との間には,必ず「ズレ」が存在する。

見た目とか,価値観とか,信念とか。全く同じ人はいない。

そのズレを認識し,認めあうことで,自分もそのズレを取り込んで,より豊かな存在になることができる。

そのそれぞれとのズレを反射して,何かを感じるということが,生きることだと思う。

 

物語の中で,桜良も「生きる」ことの定義を解いている。ぜひ,手にとって読んで欲しい。