いつかヒトになるためのレッスン

人生いったりきたり。

ヒトであること,とは

 

今日のこのツイートは「人間を超えた超人的な体力と精神力をもってあらゆることを楽しみ切りたい」という意味だったのだけれど,書いた少し後になって違和感を覚えた。

 

そもそも自分が「ヒト」であるかすら怪しい,みたいな気持ちがどこかにあるのだ。

だからこのブログタイトルなのだ。

ヒトであるためにはもっと感情が豊かで,他人と愛をはぐくむことができて,友人と楽しくあることができて,などなど,いろんなことができる必要があるのでは,という気持ちがあったのだ。

そして自分はそれに満たない,ヒト以下のけだものに近い,ヒトに飢えた存在なのだ,という気持ちがあった。

 

李陵・山月記 (新潮文庫)

李陵・山月記 (新潮文庫)

 

 

自分のこの気持ちは,高校で読んだ「山月記」に大いに感化された影響だと思う。

「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」を持っている,との自覚を強く持っていたために,ヒトを名乗るには忍びない,という気持ちがあったのだと思う。

でも,こんなふうに悩んで迷って,克服することができる,というのはヒトができることのような気がする。

 

ヒトの定義とか考えるのめんどくさくなってきた。

生きよう。