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いつかヒトになるためのレッスン

20代ゲイです。人生いったりきたり。再開した小説はこちら→http://ayamina.hatenablog.jp

右手

感情の振れ幅が一定の値を超えると、決まって右手に神経痛のような痛みが走る。
ぴりぴりと手に伝わるそれは、脳裏に火花が突然走った時のような、くらくらした感覚に少し似ている。

頻繁に怒ったり泣いたり笑ったりと、感情が忙しい方ではない自分でも、年に数回はそういう時が来る。
一緒にいて心臓の音が高鳴ったとき。
勇気を振り絞ったとき。
それが崩れてしまったとき。
嬉しいときも、悲しいときも、ひとしく僕の右手はぴりぴりと痛む。

でも、昔はもう少し痛むことが多かったかもしれない。
いまから思えば明らかに見当違いな事や、悩んでも無駄なことでもっと怒っていたし、悲しんでいた気がする。そのわりに、嬉しさのあまり感情が振り切ってしまう、という割合は少なかったように思う。

その頃から時間が経って、少しは「どうしたって無駄なこと」が何か見分けられるようになった。
ああそうか、そういうこともあるんだよな、と思えるようになると、大抵の「悲しいこと」や「切ないこと」は「どうにもならないこと」にカテゴライズされるようになって、感情のボリュームを絞っていくようになっていく。
そんなことができるようになることを、「大人になる」と呼ぶのかもしれない。

だから昔と今を比べると、「悲しいこと」や「切ないこと」が少なくなった分、相対的に「嬉しいこと」が起きて右手が痛む割合は大きくなってきたように感じる。

それでも、悲しいときはくるわけで。


右手

右手



でも、悲しさで右手がぴりぴりと痛むと、まだ自分の感情はちゃんと生き残っているんだなあ、と少し安心もする。

今度痛くなるときは、どうかそれが嬉しいことでありますように。