いつかヒトになるためのレッスン

人生いったりきたり。

自分を組み替える

2月・3月に続けて旅行に行ってから大分仕事に忙殺されていたのと,筋トレの成果が急に出てきていま着ている服が軒並み小さくなったり履いているパンツがもれなく股擦れで裂けたりして,だいぶ窮屈に思うことが増えてきた。

ふと部屋を見回すと,積んである本はかれこれ半年以上は手を付けていないものばかりだし,クローゼットの中もいつから着ていないのかわからない服だらけになっていた。

 

昔から,何年も経って古くなってしまっても同じものを使い続ける人のことがあまり理解できなかった。どう考えても使い勝手の悪いものだし,ずっと使うことが必要なわけでもないものを使い続ける人を,難儀な人だなあと横目で見ながら生きてきた。

自分の家庭が転勤族で,小さい頃2〜3年に一度は引っ越しを続けてきたことも影響しているのかもしれない。荷物が多いとそれだけ引っ越しの準備も面倒だし費用もかかるから,持っているものは定期的に「今の自分に必要か」という厳しい鑑定をくぐり抜ける必要にさらされた。不要と判定されたものはみんなフリーマーケットに出して,値切りに抵抗しながらもそれなりの小銭に変わっていった。

最初から手放すことを意識しながらものを買うから,消耗品以外は丁寧に使う癖がついた。ゲーム機の箱も乱暴にせず綺麗なままで保管しておいて,必ず古い本体とソフトをぜんぶブックオフに二束三文で売り出してから,新しい本体を買っていた。

どうしても手放せなかったのは,昔から途切れ途切れにつけていた日記の束と,なけなしのお小遣いをはたいて買った本と漫画くらいだった(その漫画も本当に手元に置いておきたいもの以外は,ことごとく手放すようになるのだが)。

服も本当に気に入ったもの以外は,数年経ったら何の執着もなく捨てるようになって,そのぶん新しいものを定期的に買うようになった。未だに同じ家に長く住むのは辛いと思ってしまうし,東京に来てから3年より長く同じ家にいたことはない。

 

自分は自分の管理する領域の中に,自分と合わないものや古びてしまったものがあると,自分が少しずつ腐っていくような感覚がしてとても嫌になってしまうのだと思う。自分の領域は,自分が気に入ったものを置く場所にしておきたい。不要になったものは追い出したい。少なくとも3年に一度は,環境自体でさえがらっと変えたくなってしまう。

たぶん,自分は「変化」を感じているとき,とても充実感を覚える生き物なんだと思う。だから日々の生活で鬱憤が溜まったりすると,定期的に自分を構成する内外のものをがらりと変えたくなる時期がやってくる。

そのくせ,本当に自分を組み替えるために必要な地道な努力は嫌うんだよなあ…。インスタントに効果が感じられないと,すぐ放り出してしまう。唯一筋トレだけが,社会人になってから途切れなく続いている努力だ。これがあるだけでもだいぶマシだし,心も身体もとても救われた。

 

とりあえず,今すごく自分を組み替えたい,という欲が高まっているのです。それまでは何でもダルかったのが,いざ自分を組み替えよう,と決心していろいろ考えていくと,「今回もやったるか」という気持ちになってわくわくしてくるんだよなあ。良いことだ。

次は何をして,自分を組み替えようか。