ちょっと前のことになるのだけれど,宮本七生さんという写真家さんの「曖昧」という写真展を見てきた。
宮本さんは,僕が最近まで受講していた編集・ライター向けの養成講座で取材をさせてもらった方だ。「正面」という作品をtwitter上で見かけて,自分も撮って欲しいと願い出たのが出会ったきっかけである。
最初は飄々と生きているような印象を受けたけれど,宮本さん自身が人を,写真を見つめる目はいたって冷静だ。淡々としている。
「他人への諦観があるせいだと思う」と,宮本さんは取材の時に自身の過去を振り返って言った。ただ,その感覚も,時間を経るごとに変化が生じているらしい。
今回の写真展で宮本さんが発表した作品「曖昧」は,その変化を如実に表すものだと感じた。
友人と恋人との間にある,曖昧さの検証。
その検証結果となる10対の写真が示していたのは,宮本さんが自ら述べていたように「曖昧さなど存在しない」という結果だったと思う。
よく,「友達以上恋人未満」という言葉を聞くことがあると思う。
これはつまり,「友達」という言葉でも「恋人」という言葉でも指し示せない関係が,グラデーションのように存在することを示している。
ただ,それは言葉で的確に表せないだけで,その関係にある人の関係性自体が曖昧である,というわけではない。そこには確かに,いくつかの線引きが存在している。ただ僕たちがそれらの間を明確に語り分ける言葉を持たないだけの話だ。
たまたま同時期に,別のライターさんから勧められて読んでいた本にも,同様の事が記述されていた。
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いま,私達が当たり前のように話している言葉のうち,その多くは先人が何とかそれぞれの概念を具現化しようと,苦労して「作られた言葉」である。
同じ「話すこと」を示すカテゴリーの言葉でも,「演説」「スピーチ」「教授」「対論」などと,異なる形態のカテゴリを言い分けられるのは,外国文化が入ってきた明治時代の人間が血の滲むような苦労をして語り分けるための言葉を作ったからだ。
その一方,現代になっても語りわけられない言葉もまだまだ沢山あるのだ。一言で言い当てられない概念もまだまだたくさん存在する。言葉を与えられていないそれらの概念は,ことばでものを考える人々にとってはひどく形のないものに見えて,その結果,曖昧なものとして処理されてしまうのかもしれない。
でも,繰り返すが,それは「関係性が曖昧」なのではなくて,「関係性を言い表す言葉が曖昧」なのである。
そして,その関係性をすべて正確に言い表す必要があるとも思わない。言葉と関係は相互に作用しあっている。「恋人」という関係が与えられてから始まる恋愛もあるように。お互いが定義した言葉に引き寄せられて,関係が変わることもあるのだ。
だから,曖昧な関係に言葉をつけよう,ということではない。言葉では表せない互いの距離感を理解できた時に感じる,透き通った感覚の片鱗を,写真という形で示したのが,今回の宮本さんの作品だと思う。
いいものを見られた。次は何が見られるのだろう。