いつかヒトになるためのレッスン

20代ゲイです。人生いったりきたり。再開した小説はこちら→http://ayamina.hatenablog.jp

「察してくれ」というスタンスでコミュニケーションを取ろうとすることの身勝手さ

自慢じゃないけど、自分は自分の意見をストレートに伝えるのが苦手だ。当意即妙に言葉を返すのも苦手だ。

要はコミュ障なのである。

今日は最近諸々上手くいっていないので、言い訳と反省がてらのエントリだ。なので基本的に自分がこじれているのはわかっている。でもちょっと、吐いておきたいのである。

 

中学・高校の頃から、クラスの中心で笑っている、誰とでも打ち解けることができる中心的存在のクラスメイトを横目で見ながら、教室の端っこでひっそりと生きていた。ちょこちょこ漫画を呼んだり、ゲームをしたりしていた。中学の頃はノートを回覧してみんなでへんてこな小説を書いていたりしていたし、高校生の時は部室にこもってごろごろしながら漫画を読んだりしていた。スポーツができてモテたりとか、面白いことを言って人を笑わせたりするのが苦手だった。そういう人は別の人種だと思っていた。

 

自分とは違う世界で、キラキラ輝きながら、何の悩みもないように、夢にむかって生きている。そういうふうに、自分はなれない。そう思って学生時代を過ごしてきた。

 

そんな自分も大学生になり、メガネをコンタクトに変え、なんとか苦労しながらも就活を乗り越えて社会人になった。就活した結果入社することになった会社は世間的に言うと「いい会社」で、その中には「いい人」がたくさんいた。自己PRではキラキラした経歴を誇らしげに語る学生が沢山いた。その中で選りすぐりのキラキラ度を誇る学生が少なからず採られて、自分の同期になった。

 

自分は自分で過去のコミュ障ぶりを挽回しようと、色々手を尽くした。体を鍛え、雑誌を読んでちょっとおしゃれ目な服を買い、髪型を整えた。学生の頃と比べて、容姿としては大分マシになったほうだと思う。

 

外見は努力さえしていれば、コミュニケーションをとらなくてもある程度なんとかなるから楽である。だれとも喋らなくても、ネットで調べてジムで一人で頑張って重量を増やしていれば筋肉はつく。

そして、ホモの世界は見た目がある程度マシで若ければ、ある程度はちやほやしてもらえる。あんまりしゃべらなくても、ニコニコしていればある程度はやっていける。

 

でも、実際の人生はニコニコしているだけではいかない場合のほうが多い。仕事を進めるには内容を他人に説明できなければいけないし、話し合って最適解を模索していく必要もある。プライベートでも、自分の考えを適当に濁すだけでは関係を構築できない。

キラキラしている人は、きちんと自分の考えを伝えてそれを行うことができる。素直に気持ちを伝えることもできる。

でも、直接考えを伝えて自分が否定されるのが嫌な、あまのじゃくな自分は、コミュニケーションの仕方をややひん曲げてものを言うことを覚えた。

 

「直接意図を伝えないで、相手に察させる」のである。

 

「あーちょっと調子悪いかも~~」とか、「あーおなかすいたな~~なんか食べようかな~~」とか、簡単に言うとそんな類の言葉を発するようになったのだ。

優しい人はそれで「大丈夫?」とか「ごはんいこう」とか話しかけてくれる。ちょっとつらそうにしていれば、心配してくれる。げんなりしていれば励ましてくれる。そういう態度をとっていれば誰かが気にかけてくれる。

 

要するにコミュニケーションの成否を相手に依存しているのである。これだと単に相手にとって負担なだけである。そして身勝手である。

でも、それでも気になるからとか、心配だからといって声をかけてくれる人はいるのである。そういう人にまた頼ってしまうと、そういったコミュニケーションでもなんとか通ってしまうのだ。なので、ついつい使ってしまう。

自分が弱っている時とかは、延々とそういった手段をとってしまいがちになってしまって、次第に周りが呆れかけて来ているのがちょっとわかるのである。そうなると更に、自分の中で落ち込んでいく。

 

そういうの、どっかで断ち切らねばいかんのである。察してもらうことを前提にして言葉を複雑にして余計な負担を増やすよりも、さっさと正直に気持ちを吐いてしまえばいいのである(そうするタイミングは測る必要があるが)。

でも、いざやろうとするとどうしたらいいかわからんのだよなあ。

結局、そうやって伝えようとする場数を増やしていって、上達していくしかないのかもしれない。

 

地道だ。地道な道のりに耐える必要がある。すぐに全部が変わる魔法なんてない。

伝えようとし続けていくしかない。

 

ちょっとそのためには、今のこじれた生活を一度立て直さなければならん。

腹くくるか…。