いつかヒトになるためのレッスン

人生いったりきたり。

映画「ちはやふる 上の句」 ー 知ることが、人生を鮮やかにする

原作もアニメも全く見てないんですが、映画「ちはやふる 上の句」を観てきました。

二度。
一度だけでは足りなかった。
 
 
(以下、ネタバレ含むためご注意)
 
 
 
 
 
 
 
「ことば」と「おと」を大事にしている映画だ、と思った。
ちはやふる」で取り上げる題材となっているのは、競技かるた。いわゆる百人一首だ。千年もの昔の人が詠んだ名歌が今の今まで引き継がれ、千早や太一をはじめとする登場人物たちは、その歌のもつ意味に自らの想いを重ねながら、競技かるたにのめり込んでいく。
 
名歌は声に出して読むことで、美しさを増す。その語感だけでも心地良い。それに加えて歌の持つ意味を理解していくと、それぞれの歌の背後に物語が現れてくる。
それを知ることで、千年後の自分たちが見る光景もまた、色鮮やかなものになっていく。その過程や感覚を絶妙に表現しているような音楽の使い方が完璧になされていて、登場人物と感情がシンクロする感覚に陥ることができたのがほんとうに心地よかった。
 
 
このたびは幣も取りあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに
 
「上の句」の劇中で出てくる歌の中で、一番好きだった歌がこれだ。
おおよそ「今回の旅は急だったので、神様にお供えするものを持ち合わせておりません。山の紅葉を捧げますので、後のご判断は神様にお任せします」という意味となる。ここから、原田先生はうちひしがれる太一に「神に祈ることができるのは、できることを全てやりきった人だけなんじゃないかな」という解釈を導き出した。
そこから繰り出される「賭けてから言いなさい」の言葉の威力は、凄まじいものがある。
 
この言葉を紡ぎ出すためには、まず原田先生は太一のこと、千早のこと、そして新のこと、そしてその関係性を知っている必要がある。太一が何に悩んでいるのかを理解する必要がある。そしてそこから太一を引っ張り上げるために、太一の投げかけに答える形で、太一の心に響くであろう材料と表現を自らの和歌のデータベースから探して、実際に言葉を発する必要がある。このどれかが欠けていたら、原田先生は太一に響く言葉をかけられなかっただろうし、そもそもそんな状況に至るまでの仲になっていなかったかもしれない。
 
好きな人に、自分の想いを伝えたい。
あの人と仲良くなりたい。
大きな仕事を成し遂げたい。
何かをしたい、と思った時、それを具体的な行動で示すためには、それに必要なことや、そのやりかたを「知ること」が必要だ。でなければ、何をしたらよいかの検討すらつかないままであり、永遠に何もすることはできない。
だから好きな人に趣味を合わせようとしたり、話の糸口になる共通項を探そうとしたり、必死に問題点を探って解決策を練ろうとする。
知ることは、人生を前に進め、その人にとっての視界をより鮮やかにするために、欠かすことのできないことなのだ。
 
目指すことに直接役に立たなくても、知るべきことを知ろうとするプロセスは一生役に立つ。きっとそれを知っているから、こんなにも皆が輝いて見えるのだろうな、と思った映画だった。