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いつかヒトになるためのレッスン

20代ゲイです。人生いったりきたり。再開した小説はこちら→http://ayamina.hatenablog.jp

テストにのみ現れる「満点」という幻想

テストで100点満点とか,TOEICで満点とか,この世には「満点」というものが存在する。与えられた問題にすべて正解した時,それは得られる。それを得ることができると,大抵の場合は「へえ,それはすごい」という評価を受け,一定の評価を受けることとなる。

ただ,「満点」という概念が存在するのはそういったテストの類だけだ。だけど,「満点」というのは評価として使いやすい概念なので,ほかのものの評価の際にも取り入れられたりすることがある。でも,そのせいで,逆にあらゆるものに「満点」や,そして「正解」があるように誤解してしまうことが,よくあると思う。

 

人生には,「自分の人生は良い人生だった」という評価は存在しても,「自分の人生は満点だった」という評価は存在しないと思う。あったらちょっと怖い。

満点,ということはノーミス,ということであって,つまり「自分の人生でミスったことはただの一度もありませんでした」と言っているのと同じだ。そんなことは,絶対に有り得ない。もしあると答える人がいるとしたら,その人は何かの基準を捻じ曲げて自分の選択を「正解」に変えているだけだと思う。

そもそも「正解」だって存在するかも結構怪しい。テストでの正解だって「いまのところの理論や定説で最短距離で表現した場合の最も確からしい解」なのであって,別にそんな唯一無二の正解ではないものも多くあると思う。

 

結構へりくつみたいだけど,「正解」が必ずある,と信じ込んでいる頭だと,一度「正解」と信じたものが正解であるかが揺らいだときに,それが正解ではない可能性を信じられなくて,よい対応が取れないときがある。

そもそも「絶対的な正解」がないと思えば,正解だと思っていたものが違っていてもあんまり驚かずに対応できるし,「満点」もないと思うことができれば,ずっと今より良くするにはどうしたらいいか,と考えて行動できる。

 

だから,満点なんてないと思いながら生きるし,いつまでも及第点からどこまでプラスを積み上げるかを考え続けながら生きたいし,現状に満足して立ち止まりたくない。

もうちょっと,頑張ってみよう。