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いつかヒトになるためのレッスン

20代ゲイです。人生いったりきたり。再開した小説はこちら→http://ayamina.hatenablog.jp

「心が叫びたがってるんだ。」観ました

映画

今日は,公開されたばかりの「心が叫びたがってるんだ。」を観てきました。

最近映画でもアニメでも見るとすぐに涙がびっしゃびしゃに出てしまうんだけど何なのかな。病んでんのかも。

*ほんの少しネタバレあるかもなので,観てない方はご注意を。

 


「あの花」スタッフ最新作!「心が叫びたがってるんだ。」TVCM - YouTube

 

言葉って本当に便利なコミュニケーションツールで,本当にいろんなことを伝えることができます。ただそれはあくまで「不完全なツール」であると同時に,破壊力も持ち合わせているものです。使い方によっては,誰かを傷つけることになる。

 

言葉は単純なものです。同じ言葉を使って会話をしていても,相手が全く同じことを頭に思い浮かべているかは,正直わかりません。あくまで「同じ言葉を用いているから同じ概念を思い浮かべている」という仮定をしながら,私達は会話を進めています。

特に「心」とは何か,「愛」とは何か,といった抽象的概念になると,言葉で表しきるには到底遠い存在であるし,人によって解釈の仕方も千差万別です。ましてや,自分の気持ちを,その意図まで含めて正確に口頭で説明することなんてしきれない。

そしてこの映画の登場人物たちは,それぞれが感じていることを上手く言い表せなかったり,お互いに認識を違えたりして,修復不可能に見えるほどのダメージを,それぞれの心に負っています。

 

「誤った言葉」は,やがて人を縛る「呪い」になる。

その呪いは,誰もがかけてしまう可能性のあるものです。

でもその呪いを解くのもまた,言葉なのです。

 

直接相手に立ち向かって,自分の言葉で表現することができたなら,それに越したことはありません。でも,そんなに単純じゃないこともあります。

そういうとき,人間は「物語」を頼ります。それは小説であったり,絵であったり,歌であったりします。それに言葉では直接説明しきれないことを閉じ込め,託すことによって,何とか伝えようとします。

自分の言葉で表現することと,物語に託して伝えるのは,両輪の関係にあると思います。どちらかだけで成立させるのは,けっこう難しい。

自分は昔,特に学生の頃は,セクシャリティを外に出したり表現するのが怖くて,それがなくても人付き合い自体が怖くて小説を読むのに逃げていた時期がありました。否定されるのが怖いし,変な目で見られるのが嫌だし,嫌われたくないから。

でも,物語だけじゃ生きていけませんでした。結局は生身の人に行き着くのだなあ,と思いました。当たり前かもしれないんですが。

今でも嫌われたくないし,否定されたくはないけれど,それなりに深い付き合いができる人も増えて,どんどんと人付き合いが楽しくなってきています。嬉しいことです。

 

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映画館のある日本橋のコレドを鑑賞後にうろうろしてみると,お出汁をコップに入れて売っている店を見つけてびっくりしました。しかも混んでる。

とりあえず買って飲んでみたはいいものの,だしの旨味がそこまでよく判別できない。ちょっと,お出汁の良し悪しを素で判断するには時期が早いようです。