いつかヒトになるためのレッスン

20代ゲイです。人生いったりきたり。再開した小説はこちら→http://ayamina.hatenablog.jp

歌を覚えること

この前ちょっと時間ができたので,久しぶりに一人でカラオケに行って,一時間ずっと続けて歌ってきました。
一人カラオケは大学生のころから継続しているストレス解消法のひとつです。
普段は大声も出さず,そんなに激しい動きをすることもなく机の前に座っていたせいか,凝り固まる頭を身体を動かすことでほぐすのが,わりと自分のやりかたとして合っているらしい,と大学生になってから気づくことになりました。今はジムトレとたまにする柔道と水泳が主な発散手段ですが,昔は運動も特にしていなかったので,気が済むまで大声で好きな曲を熱唱することがもっぱらのストレス解消手段になっていたのです。
 
いつもはiPhoneのライブラリから歌う曲を探すのですが,その時はちょうど画面修理に出していて,何も持っていませんでした。だから,ふと頭に浮かんだBUMP OF CHICKENの曲を歌うことにしました。
 

 

ユグドラシル

ユグドラシル

 

 

 
中学校のころ飽きるほど繰り返し聴いていたこのアルバムの曲を,思いつく順番でとりあえず歌い尽くしていくことにしました。カラオケで歌った事が全く無かった曲もあったけれど,案外覚えているもので,ふつうに歌うことができました。
 
歌いながら,当時はいちいち歌詞の意味とか考えずに覚えていたんだなあ,と改めて思いました。「sailing day」や「オンリー ロンリー グローリー」,「車輪の唄」は本当に好きだったから歌詞も読んで,意味も読み取って感情移入しながら歌えたのですが,「embrace」とか「同じドアをくぐれたら」とかはえっ,こんな歌詞だったっけ?と思いながら歌っていました。ましてや「太陽」とかは曲の存在すら忘れていて結局歌わなかった…。
でも,聴くと確かに覚えているのが不思議。
 
自分は昔から,歌詞を全く見ずに歌手の声とメロディの流れだけで曲を覚える傾向があるようです。そして,気に入ったものだけ歌詞を調べ,ああこんな意味だったのか,と初めて気づく,という感じ。
 
自分の親は結構逆で,借りてきたCDの歌詞カードを丁寧にコピーして,あまつさえ写経のようにノートに書き写して歌詞を覚えていました。別にカラオケで歌うわけでもないのに。
でも,割と最近になって,自分も特に気に入った曲に関しては歌詞を手で書いてみるようになりました。読むだけだと,どうしても頭に残らないのです。書くと書いているその文字を手と目で感じて,意味を考えるようになるから,やっと覚えることができる。
手で書いている速度と手間であることも重要です。キーボードで打ち直すだけではやはり,頭から抜けてしまう。だから,書く。
そうやって書き残してきたものも,やはり多くを忘れてしまうけれど,ふとしたきっかけで思い出すことができる記憶になる。
 
「車輪の唄」を歌いながら,そういえば中学生の頃に歌詞をノートに書いてニヤニヤしていたなあ,結局昔から親と同じだったんだなあ,と思い出しながら,そんなことを考えていたのでした。
 
 
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そんな記憶が残っていると,年を経るごとに同じ曲に対する印象が違ってくるものもあるもんだなあ,と思ったりもします。
たとえば「乗車権」。昔はただおどろおどろしくて怖い曲だなと思ったし,歌詞を読んでもよく意味がわからない曲だなあ,と思っていたのですが,今となっては実感が湧きます。
 
「人間」としてどこか遠くへ行きたいと思うのなら,それなりの強固な意志が必要なこと。
間に合わせの意志では足りないこと。
ただ遠くに行くことだけを目的にして動くと途中で自分がどこに向かっているかわからなくなってしまうし,後戻りもできなくなる。
 
言葉にしてしまうと平凡なことのように見えますが,メロディと詞に変換されたものを聴くと自分の中の感情が刺激されるのはどうしてなんでしょうね。そこが歌の良いところであるとは思うのですが。
 
 
いつか自分がおじいちゃんになった時,ぼくにとっての思い出の曲はきっと演歌とか歌謡曲なのではなくて,バンプやゴーイングやZEDDになるんだろうなあ…と思うと,なんだか不思議な気持ちです。サンボマスターとか持ちだした日にはとてもファンキーな非モテおじいちゃんになりそう。ほほえましいことです。