いつかヒトになるためのレッスン

人生いったりきたり。

愚痴の効力

昨日会社の同期と後輩に誘われて,ちょっと仕事帰りに飲みに行った。そこで話されたのはサラリーマンによくある話題で,つまり上司と会社への愚痴だった。あの先輩はここがダメだ,あそこがしっかりしてない,上司である資格がない,もう限界だ,などなどなどなど。

その時は「はあ,大変だねえ」とひとまず話を聞いてそれなりに盛り上がり,帰って普通に寝て今日も仕事に行ったのだけれど,なんだか今日仕事しててものすごくだるかった。

まあ普通に仕事したくない気持ちも元からあったのだけれど,それにしてもつらい。つらすぎてクエン酸がたっぷり入っているグレープフルーツジュースがうまいうまい。

そういうわけでなんで自分がこんなに疲れているのかと過去の行動をたどっていったところに,「同期と後輩から聞かされた仕事の愚痴」が挙がってきたのである。

ただの愚痴だけなら別にそんなにダメージが無かったのかもしれないが,今回は何か違うと思った。要因を整理して,自分もスッキリしておこうと思う。

 

おもいっきり自分の事を棚に上げて文句ばかり言っている

「先輩って後輩の仕事のクオリティがちゃんとしてるか確認する役じゃん?確かにおれの実力不足は否めないけどさあ,ちゃんと見てほしいんだよねえ」

って喋られた時点でお前しっかりしろよ新人じゃねえんだぞもう,って思ってしまった。

大抵の仕事は(特にある程度の大きさのある企業だと)その質を担保するために,成果物に対して複数の目を通す。その過程で上長のチェックが入るわけだが,「適切なタイミングで適切なフィードバックが来ない,上長として信用出来ない」という文句を言っているわけである。

もちろん上長は部下がトンチンカンなものをうっかり出さないようにチェックするのが役目なわけだが,すべての上長がそんな出来た人であるわけではない。チェックがザルな人もいるし,細かくネチネチした人もいる。でも,そもそも自分で成果物を作って出す段階で,自分がある程度納得したものを出さないとチェックしても直しようもないものだったりする。それを全部直して指導する責任が全部上司にあるのだとしたら,それはちょっと気を抜き過ぎなんじゃないか,と正直思ってしまった。

 

理不尽な状況に対して自ら解決しようとする行動を起こさず,文句だけ言う

そんなに文句言うなら一回ブチ切れればいいんじゃない,直接言えばいいんじゃない,そんなに年の離れた上長でもないしまだ言えるでしょ,って相手に言うと,「いや,そろそろ限界だから言おうと思ってる」と返ってくる。

それだけ鬱憤を抱えているのだから,それはそれは恨みがこもった文句を聞かされているのだが,傍目から見ていると割と一回話しあえば何とかお互い気をつけられるようになるのではないか,と言う程度の問題に見えるのだ。それでも相手が直接話し合いで解決しようとした気配はない。かといって距離をとることもない。

そりゃ鬱憤がたまるのは当たり前だろうなあ,と思った。それが結構年上の上長でおいそれと文句を言ったもんなら課からハブられてしまう,といった感じの人が相手であれば愚痴で片付ける気持ちもわかるが,相手はまだ年の近い先輩である。さっさと言って解決したらいいのに,とずっと思ってずっと言ったが,結局直接話し合って解決するかどうかの意志は聞かずに飲み会は終わってしまった。

 

溜め込みすぎて爆発する前に,直接説得するか,逃げるかしたほうがいい

結局昨日同期の何にダメージを受けていたかというと,「まだはっきり言うかはっきり逃げるかすれば何とか切り抜けられそうなのに,あえて正面から突っ込んでマトモにダメージを受けて腐って,周りに恨み節をまき散らしている」という同期から降りかかってきた「瘴気のような悪口」の余韻がまだ頭に残っていたからなのでは,と思う。愚痴を聞かされて嬉しい人はいない。むしろダメージとその相手に対する偏見しか産まない。

せめて愚痴を言うとすれば「こういう仕打ちを受けてるんだけど,自分は悪くないよね?相手にもうアクションを起こすか逃げようかしようと思ってるんだけど,その選択は間違ってないよね?」と,その人の行動に繋がる形で「現状がどれだけおかしいかを客観的に判断するための確認」として言うのであればまだわかる。でも「ただ気に入らないから文句を言う」とか「不満だけど本人に言う勇気がないから言いやすい人に管を巻く」とかいう方法で愚痴を言ってくる人ってほんと何も生み出さないなと思った。

嫌なら行動を起こすしかない。無理矢理にでも。

それができずにくすぶっている人は,それなりの生活しかできないんだろうな,と思った昨日と今日であった。