いつかヒトになるためのレッスン

人生いったりきたり。

洗濯乾燥機に買い替えたら人生が変わった

しばらく文章を書いてなかったので,ついでに最近感動した話を。

 

昨年末に引っ越したんですが,だいぶ家具とか家電とかボロが出てきてるなーと思ったので,特にダメだったものをいくつか買い替えたのです。

 

・洗濯乾燥機

・ベッド

・ドライヤー

 

全部最高に良かったんですが,今日はひとつめの洗濯乾燥機のことを書きます。

 

 

買ったのはこれ。 

 

嫁入り道具これでいいんじゃないかってくらい高かった。

洗濯乾燥機って15万くらいでいいやつ買えるんじゃないのー?とか思いながら価格.com開いたんですが,ちょっとお口あんぐりな感じの値段で最初はビビりました。

でも,洗濯乾燥機持ちの友達からは買ったら人生変わるよマジで!と言われ,どうせでっかい買い物するならちゃんといいもの買いたいなあ,と思って,わりとハイスペックのものを買いました。

 

でっかい買い物するんだから,と各メーカーでどんな特色があるんだろうとか,乾燥の方式は何が違うんだとかまあまあ調べました。ただ大手メーカー(パナソニック・日立・シャープ・東芝)は洗浄に関してはだいたい「温水で洗える・よく落ちる洗浄モードがある・ふっかふかに乾く」みたいな基本機能はついてるので,あとは乾燥の方式とか,その他にちょこちょこついている追加機能とかで選ぶしかないんですが,その比較がいちいち面倒くさい。

 

ので自分はとりあえずCMに出てるメンツで選びました。

ザッツミーハー。

 

パナソニックPerfume

日立:二宮和也

シャープ:なし

東芝満島ひかり

 

もう完全にPerfume以外の選択肢がありません。決定。

別に洗濯乾燥機買ってもPerfumeには課金できないんですがいいんです。気分です。

ちょっと二宮と悩んだけど(日立は他メーカーと比べるとワイシャツがぱりっと仕上がるっぽいです),自分は仕事でスーツほとんど着ないし,まあパナソニックにしようかなと。

 

 

でも普通にパナソニックの洗濯乾燥機にして良かったです。

簡単に言うと「洗濯することに対する労力コストがほぼゼロ」になりました。

 

洗濯って,ふつうにやると

・洗濯物を洗濯機に入れて

・洗剤と柔軟剤と漂白剤を測って入れて

・洗濯終わるまで待って

・終わったら洗濯物をかごに入れて運んで

・ハンガーに通して干して

・乾いたらハンガーから外して畳んだりハンガーのままクローゼットにしまって

という,これだけの工程があるんですよ。

 

それが洗濯乾燥機に変わると,とりあえず洗濯物突っ込んでスイッチ入れれば乾いたほかほかの状態で洗濯物が出てくるようになります。あとはたたむだけ。

普通にこれだけで感動しました。てか乾燥機で乾燥するとめっちゃふっかふっかなのな洗濯物!ほんとびっくり!

ずっと部屋干しでごわごわした,生乾き臭がする感じのバスタオルで1枚あたり2日間くらい身体を拭いてたんですが,そういう不快感が一切なくなりました。

毎日洗ってある,ふっかふかのいい匂いのするバスタオルで身体を拭けるってめちゃくちゃ幸せなんだなあ,とこころから実感しつつ毎日を過ごしています。

 

そして洗濯物を部屋干しすることがなくなったので,部屋が臭くなくなりました。あと洗濯物に邪魔されて部屋が暗い,なんてこともなくなった。これもめっちゃうれしかったです。

 

その上パナソニックの洗濯乾燥機のスペックいいほうのやつ(NA-VX8800/9800)は,なんと洗剤と柔軟剤も自動で投入してくれるんです!


液体洗剤・柔軟剤 自動投入説明動画【パナソニック公式】

 

洗濯機にあるタンクに洗剤と柔軟剤を入れとくと,洗濯物の多さに応じて最適な量の洗剤と柔軟剤を自動で入れてくれるスグレモノです。

これ地味にいいんですよ。毎回洗濯物の量を気にしながらえーどれくらい入れとく?ちょっと汗臭いから多めに入れとく?あー入れるところからこぼれちゃった―とかいう作業が一切なくなるので。

 

 

以上の機能なりなんなりのおかげで,自分が洗濯するときの動作は以下で済むようになりました。

・洗濯物を入れる

・スイッチを押す

・終わったら洗濯物を出してたたんでしまう

(終わってもしばらく勝手にドラムがくるくるしてシワがつかないようにしてくれるので放置してても大丈夫)

☆しかも出てきた洗濯物はいつもふっかふかでいい匂い!

 

 

ひと月半くらいしみじみと洗濯乾燥機の恩恵に浸り続けているのですが,要するにこれは「持続的に感じているストレスを大幅に削減させる」という効用が洗濯乾燥機にあった,ということなんだと思います。

洗濯するときにする必要があることが多いからどうしても洗濯する頻度を下げたくなるし,そうすると放置した洗濯物は臭うし汚れも落ちにくくなっていくし,だから干しても臭さが残るし,取り込むのが面倒だからまた洗濯したくなくなるし,部屋は暗いし期着たい服は延々と着れないし……

と,延々と続く負のスパイラルって,案外生活に影響を与えてたんだなあ,と。

洗濯乾燥機に買い替えてそのスパイラルが一切無くなったし,何より洗った洗濯物がすっごくいい匂いでよく乾いてるのって純粋に幸せなんですよね。無条件に嬉しい。洗濯するのが楽しい。

 

毎日いい気分で服を着て出かけられるのが気持ちいいから自然と日々のテンションも下がりにくくなるし,生活全体のクオリティが上がる魔法の家電でした。ほんと買ってよかった。

 

みなさんもぜひ,冬のボーナスもらった人はそれ握りしめて家電量販店に行ってください。もらってない人でも,お金を貯めてでも買う価値があるものだと思います。

 

次はドライヤーの話でも書こうかなあ…

葉物野菜が高かった

年も明けたし,今年こそは筋トレもたくさんしてカッコいい自分になってやるぞ―!と意気込んでいるわたしです。

あけましておめでとうございます。今年はいろいろゆるゆるやるのではなくて,しっかり持続して努力できる人になろうと思います。

 

そんでもって,とりあえず年末から最大限の暴飲暴食をかました身体を一旦お休みさせるために,年明けは鍋でも作って夕飯の炭水化物を抑えようかなー,とか思ったりして,近所のスーパーをちらちら見回っています。

去年の末に引っ越しをしてから近所にちゃんとしたスーパーがある生活になったので(しかも3つもある!),こりゃ自炊のしがいがあるなあ,とか思っていたのですが。

 

葉物野菜がめっちゃ高いわ今年。

 

ほんと意味わかんないくらい高い。めっちゃ小さい白菜が1/4で198円とかする。ニラに至っては256円とかする。

256円て…!時期によっちゃニラ3束買えるわ!!

 

聞けば今年はめっちゃ野菜が不作らしいですね。他のスーパー2つくらい回ったんですが見事に同じ値段で白菜が並んでました。かなしい。

何とかギリ通常価格で買えたナスと舞茸を買って,年末に作って冷凍しておいたミートソースにぶっこんでちょっと野菜多めのミートソースパスタを作りました。

ガッツリ炭水化物食べてしまった。まあ,それを消費できるだけ運動するのだ,うん。

必要に迫られて旅に出たい

 

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

 

 ぜーんぶ捨ててどこかに行きたくなる時がある。もはやここにはいられない、だからかばん一つに入る荷物だけを持って家を捨て、どこかに向かいたくなる時があるのだ。

 

村上春樹作品の主人公は、「自分の力ではどうにもならないある事情」とか、「そうする他ない」ような流れで旅に出る、というパターンが多い気がする。

僕は、その主人公たちが荷造りをしているシーンを読むのがとても好きだ。

選びすぎると重くなる。だから、信頼できるものを最低限選ぶ。丈夫で使い勝手の良い服、多少のことでは壊れない道具、何度も読み返したくなる本、音楽を聴くためのプレイヤー。そこには甘えや迷いは存在しない。余計なものを持つことは、自分を苦しめることにつながるから。

 

たぶん、今の自分は「決心したい」のだと思う。きっと自分が生きていきたい場所はここではなくて、別の場所にあるのだと思っている。

散々悩んで、でも気持ちは変わらなかったから、きっとそういうことなんだ。

自分で自分の心を殺さないように生きよう。もっと楽しいことをたくさん考えて生きられる場所を探そう。

 

余計なものは置いていって、ほんとうに大事と思うものだけを選んで、生きていこう。

ブログはもう「日記のための場」ではなくなってしまったのかもしれない

書いては休み,書いては休みと,ちょこちょこブログを活用してきたのだけれど,最近すごく書きづらくなってきたような気がしている。

元々の文才があんましない,というのはまあ横に置いておいて,ブログを書くためのハードルって,昔と比べてすごく上がってしまったような気がしているのだ。

10年くらい前,まだ「ブログ」というものをどう扱ったらいいかよくわからなかった頃は,「今日はこんなことがあった」とか,「こんなことがあって楽しかった/悲しかった」といった,なんでもない日記をガラケーでぽちぽち打っていたような記憶がある。学校の友だちに言うまでもないことだけれど,なんとなく残しておきたいし,誰かに効いてもらいたい言葉を宙に投げておくための場所だったと思う。

 

でも,そういう「誰かに聞いてほしい言葉」を投げる場所は,Twitterとか,Instagramとか,そういう場所に移行していった。ブログは「まとまった文章を書き溜める場」として,なんか大喜利っぽい文章だったり,趣味のレポートだったり,「読んで何らかの有用な情報とか楽しさを得られる場所」に寄っていっているように思う。

 

ので,こんな感じに特にオチも何もない文章をだらだら書いていると,「これアップしていいんだろうか」って思う文章ばっかりになってしまった。

まあアップするんだけれども。何かしら書き続けて晒してないと,上手く書けるようにならないし。

 

それぞれの場所で,それぞれに合うように,自分の書きたいことを書くまでです。

有限であることを知らないと,何者にもなれない

一週間ちょっとさまよっていた旅行から帰ってきて,今日は夏休み最後の日をだらだら過ごしてました。

 

友達と3泊5日でバリにに行って,日本に帰ってきたその日にトランクを宅急便に預けて3泊4日の台湾一人旅。2カ国巡るのは今回が人生ではじめてでした。

途中から体力がもたなくなって思いっきり寝坊したりしましたが,概ね楽しかったです。バリは3年前に行ったときのコースをなぞる形で周りましたが,一緒に行く人が違うと違う楽しみがあるんだなーとつくづく思いました。まるで違う旅程を辿っているみたいだった。

台湾ももう数えると6回目くらいになりましたが(大学4年の時から年一回ペースで行ってる),台湾はさすがにもうひとりで行くの辛くなってきました。だいたいどこも行ってしまった。

 

旅行に行くと,じぶんがふだん住んでる場所と全然違う光景をたくさん見られたり,たくさんのことがうまくいかない(だいたいは言語が通じない,意図したとおりにものごとがうまくいかない,というところ),ということを通して,世界ってすごく広いんだなあ,ということに気づきます。

世界の他の場所にはいろんな人がいて,その全員が自分と違うことをして生きている。広いなあ,すごいなあ,と毎回びっくりして帰ってきます。

そんで,ぼけっとした生活を送っている場合じゃない,自分も頑張らないと,となかば焦燥感に駆られながら帰ってきて,しばらくは仕事に没頭する,という感じになります。

 

旅行に行くと,あまりに違うものをたくさん見るので,自分は今見ている全然違う人達のように,何にだってなれる,無限の可能性がある,という気分になったりしていました。

でも同時に,「無限だ」って思った瞬間に,無限についての想像がつかなさすぎて何もできなくなるんですよね。何をすればいいか途端にわからなくなってしまう。

理論的には無限なのかもしれないけど,無限って考えるのはもうやめよう,と思いました。すべてのパラレルワールドを気にかけている余裕は,短い人生にはない。

 

有限の人生の中で,有限に狭めた道の中から,どういったルートを選んでいくか。

それなら少なからずヒントを見つけられそうです。

どうしたいんだろうなあ,自分。もうちょっと悩んでみよう。

「努力した人」は,「努力の量」で評価されているわけではない

なんか,自分はある程度忙しいほうが色々とものを考えるようになるようです。

帰り道の途中でこんな記事を読んで,考えがむくむくと大きくなってきたのです。

 

www.huffingtonpost.jp

 

ものすごく乱暴に要約すると「努力してるからって偉いわけじゃない」って話です。

ただ本当に,あまりにも要約が乱暴すぎるので,もうちょっと丁寧に,自分なりに考えてみました。

 

「努力」は「才能」が与えられなかった人に用意されている救済措置

まず前提として,「すべてのことにおいて他人より勝る人」というのは存在しません。

この記事を見ている人は,おそらく誰もボルトより速く100mを走れないでしょうし。

誰にでも向いていることと向いていないことがあります。

ある事柄において,それがその人に「特に向いていること」である場合,人はその状態を「才能がある」と表します。

「才能がある」人は,とくに何もしなくても基準の120%の結果を出せたりします。逆に「才能がない」とされる人は,同じことをしても70%までしかいかなかったりします。ゼロとかマイナスにしかならないこともあります。

でも,もし才能がないとみなされるような状態だったとしても,試行錯誤を重ねたり,反復演習を行うことによって,無理やり100%くらいの結果を出せるようになることがあります。そこまでの過程にある行為のことを,人は「努力」と呼びます。

というように「努力」というのは,いわばある分野において才能を与えられなかった人に用意されている救済措置のようなものなのです。

そして,もちろんこれには限界があります。どんだけ頑張っても100%に満たないことなんてザラです。でも,「がんばれば何だってなんとかなる」とか「結果が出せない人は努力を怠っている」と言う人もザラにいます。じゃあお前は努力で空を飛べるのか。

 

※こういう「じゃあお前は空飛べるんか」というような例を出すと,「人間は鳥じゃないから飛べないのは当たり前だろう」とか「でも人間は飛行機を開発したじゃないか」とか言い出す人が必ずいるんですが,前者はたぶん「頑張ればなんでもできる」という理屈を崩したくない人で,後者はそんな世界を変えるような革新的な発明をしたという偉人の実績をさも人類全体の功績みたいにすり替えて自分の話に落とす気のない人なので,どっちも嫌いです。

 

日本人は特に「努力」しか選択肢がなかった人が多かった

江戸時代の農民とか特にそうだと思うのですが,日本人は職業選択の自由とか,移住の自由とかを制限されていた人が大量にいたせいで,「向いている」ことができる人が少なかったのでは,と思います。だからどんなに頑張っても基準に満たないということがわかっていても,「努力」をして少しでもマイナスを減らすしかなかった。そしてそれが結局報われなくても,「これだけ頑張ったんだから」とお互いを慰めたのでは,と思います。

制度上は大分自由になってきた現在でも,置かれた場所で咲きなさいなんて本がベストセラーになるくらいなんだから(読んでないけど),みんながみんな自分の居心地のいい場所に行こうとするわけではない,というように思います。そして,「努力の量」を評価する文化も,まだ残っている。

 

もちろん,努力なんてするだけムダだ,と言いたいわけではありません。多くの場合にとって,努力というものは有効です。

ただ,「努力」というものが意味を成すのは,努力をした結果「意図通りの効果が出た」場合か,「意図通りの効果は出なかったものの,それ以上の効果があることを学ぶことができた」という場合に限られます。それ以外の努力は,残念ながらただ作業量が増えただけ,と言わざるを得ません。

そしてもちろん,そういう何の実にもならない努力をしてしまうことだって,ときにはあります。それを否定しているわけでもありません。問題なのは,それがその人にとって向いていないことだし,どう考えたって何の実にもならない努力を続けているのに,周囲がそれを「努力が足りない」と指摘してその人を責めたりする場合です。努力の量が多いほど偉いなんてことはまったくないのに,それを評価するような土壌が残ってしまっているから。

「他の人はできたのに」とか言う人もいますが,そういう人は個人によって資質が違う,という前提をすっ飛ばして話す人なので嫌いです。でも,きっと同じようなこと,どこかで思ってしまった事があるように思います。自分はあります。

 

努力をしてもどうしようもない人を責めてさらに「努力」を強いることを続けると,最悪その人は自殺するでしょう。でも,そういった事態になるまで,「努力を強いる人」はそのことの重大さに気づかない。

 

最悪の事態に至る前に「あ,ここ,自分がいる場所じゃないのかもしれない」と気づいてその場から離れられたらいいのですが,中々それは難しい…。

最初からお互い友好的に助け合ったり,ポジションを動かしていったりして,少しでも負担が軽くなるようになったらいいのになあ,と残業明けの自分は考えるのでした。

新しいこと,変わらないこと

早いもので,今年ももう半分が終わってしまおうとしています。社会人になってから歳を経る度に,時の流れがどんどんと速くなっているのを感じます。

現実ではしなければならない(ように思える)ことがたくさんあって,それをしているだけであっという間に時間は過ぎていってしまう。本当にやらなきゃいけなかったことだったのか,そんなことは考える余裕もなくって,だからいらなそうなことを何度もしてしまっている気がして。

そういった日々から少しでも抜け出すために,ちょっと新しいことをしようとする。そして,ちょっとずつなにかを得た気になって,ちょっとずつ成長していく。

 

でも,勢い良く日々が過ぎていく中で,なんだか寂しいと思う自分も片隅にいるわけで。あたらしいことを取り込みすぎて,自分の芯がどっかいってしまうのではないか,という感じも一方でするのです。

「自分は自分。少しずつ変わっていく自分もまた,自分」と100%の自信を持って常にいられたらいいのですが,そんな自信,自分にはまだ持てないわけで。あがったりさがったり,がたがたしながら生きています。

 

日々を生きる上で一番大事なのは,リズムだと思うのです。それもただひとつのリズムではなくて,テンポも音色も違ういくつものリズムの掛け合わせ。

それは朝寝ぼけながら聞くラジオの朝番組だったり,お気に入りの定食屋で食べるお昼ごはんだったり,好きな人に言うおやすみだったりします。

異なるリズムがたくさんあるからこそ,そのどれかが突然抜け落ちてもなんとかなるし,生活を続けていけるのです。

色々あってするすると抜け落ちることのある今日このごろ。新しいものを探しにいきたいもんです。